恨む比謝橋や——1945年4月20日の沖縄戦
古い橋というのは比謝橋のことだろう。
17世紀中頃の女流歌人よしや(吉屋チルー)が那覇に身売りされる際に詠んだ琉歌「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」(歌意 恨めしい比謝橋は情けのない人が私を渡そうと思ってかけたのだろうか)で有名な橋。5つのアーチが連なる美しい比謝橋は沖縄戦火をもくぐり抜けたが、1953年、軍用道路拡張、改修にともない、石橋が取り除かれ、鉄橋へと変わった。(読谷村地域ガイドマップより要約)
沖縄戦と戦後の米軍支配により、このような沖縄の美しい情景は徹底的に破壊された。ボクたちは過去に戻ることはできないので、未来にこの懐かしい風景を再現する必要がある。
こわばった表情の女性たちと明るい子どもたちの笑顔。米軍にはレイプを行う者とヒューマニズムを実践する者との二面があった。はからずも、その対比が描かれている。写真は収容所のあった旧羽地村(現名護市)田井等。