水田やヤードゥイ集落の中を進撃する米兵たち——1945年4月22日の沖縄戦
やんばるのどこかの水田だろう。現在の沖縄では水田はごく稀な情景だが、1960年までは至る所で見ることができた。砂糖価格の高騰と1950年代、朝鮮戦争の勃発によって本格化した米軍基地建設による基地雇用員の増加、そして急速に進む基地依存経済によって、1960年代に沖縄の水田の多くが消滅する。
水田の多くはサトウキビ畑に変えられた。田んぼに土砂が投げ入れらるとき、もう稲作ができなくなると、惜しむ声が各地でつぶやかれた。
1960年代以降に生まれた人たちにとって、沖縄の原風景はサトウキビ畑になってしまうのだろう。
本部半島の山間(やまあい)の集落はヤードゥイ集落だと思われる。ヤードゥイというのは仮の宿りという意味で、廃藩置県で失業した下級士族たちの農村につくった集落。平民の使用しない山間地や浜辺に集落を形成した。
沖縄の士族は学問を積んで任官することが生涯の目標だった。そのため都落ちしたとはいえ、風情のある住まいを形成した。山中に突然、山水画の世界が展開するのである。