名護市田井等(たいら)は、沖縄最大の捕虜収容地区だった。
米軍は1945年4月中旬、現在の名護市田井等に軍政本部を設置し、本部町・名護町方面の避難民の収容を開始した。
8月には田井等とその周辺地域に5万5千人を収容。
9月には田井等市となり、市会議員・市長選挙も行われた。10月末に避難民の帰村が開始されると人口が急減し、11月には市制が廃止され、誕生からわずか3ヶ月弱で田井等市は消滅した。
写真を見ると、老人と女子どもの集まりであることがわかる。
日本は1947年にベビーブーマーと呼ばれる団塊世代が誕生する。それに比べ沖縄で戦後の出生率がピークに達するのは日本より4年遅れ、1951年まで待たなければならない。沖縄戦において、それだけ多くの成人男性が失われたのだ。