rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

成人男性の見当たらない家族の姿:1945年4月中旬以降の沖縄戦

【原文】 Japanese civilians in US Navy Military Government compound, village of Taira, Okinawa, Ryukyu Islands. Typical family seen on one of the village streets. CL-62#54. 【和訳】 米海軍軍政府の収容所内にいる民間人。沖縄本島田井等の村にて。 道には典型的な家族。(沖縄県公文書館

【原文】 Japanese civilians in US Navy Military Government compound, village of Taira, Okinawa, Ryukyu Islands. Mother with child strapped on her back and daughter. Note primitive means of transportation and differences in dress between mother and daughter. CL-62#55. 【和訳】 米海軍軍政府の収容所内にいる民間人。沖縄本島田井等の村にて。 背中に子どもを背負っている母親と娘。原始的な手段で物を運んでいる様子や母と娘の服装の違いに注目。(沖縄県公文書館

名護市田井等(たいら)は、沖縄最大の捕虜収容地区だった。

米軍は1945年4月中旬、現在の名護市田井等に軍政本部を設置し、本部町・名護町方面の避難民の収容を開始した。
8月には田井等とその周辺地域に5万5千人を収容。
9月には田井等市となり、市会議員・市長選挙も行われた。10月末に避難民の帰村が開始されると人口が急減し、11月には市制が廃止され、誕生からわずか3ヶ月弱で田井等市は消滅した。

写真を見ると、老人と女子どもの集まりであることがわかる。

日本は1947年にベビーブーマーと呼ばれる団塊世代が誕生する。それに比べ沖縄で戦後の出生率がピークに達するのは日本より4年遅れ、1951年まで待たなければならない。沖縄戦において、それだけ多くの成人男性が失われたのだ。