子守りしながら洗濯する少女たち——1945年4月29日の沖縄戦
金武大川(きんうっかがー)で洗濯する少女たち。姉は赤ん坊を背負い、足で洗濯をしている。妹は汚れた洗濯物を抱えている。
共同井戸は女性たちのコモンズであったようだ。二人の少女もその一員に加わっている。コモンズがあるかぎり、なんとか生き延びていくことはできたのだろう。
赤ん坊を育てるのは母親だけの役割ではなかった。母親が自由に働けるように、少女たちが乳飲み子を子守りしたのだ。乳飲み子は弟妹とは限らなかった。頼まれてする子守も多かった。
頼まれてする子守りでは、守子と守姉の関係は生涯にわたって続くものだった。守子は実の姉かそれ以上の大切な存在として守姉をリスペクトした。
4月29日は天長節(昭和天皇誕生日)で、浦添村前田高地では米軍にニードル(縫い針)・ロックと呼ばれた為朝岩の周辺をめぐって激しい攻防戦が行われた。
前田高地は絶壁の高地が連なっており、戦車が使えなかった。そのため血みどろの地上戦が繰り広げられ、米兵によると、「ありったけの地獄を一つにまとめた」ような戦場だった。
五日間の攻防で前田高地を確保した米軍は、1キロ半ほどしか離れていない首里に直撃弾を浴びせることができるようになった。