rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

米軍のプロパガンダに協力し、住民を救おうとした二人

An American civil wedding ceremony is conducted for a Japanese Prisoner and his Okinawan sweetheart. 日本軍捕虜と沖縄女性の間のアメリカ式結婚式 (写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書)館

激戦地の浦添村で日本軍捕虜と沖縄女性の間のアメリカ式結婚式が行われた。男性は日本軍中尉で、英語をある程度話することができ、英語を読むことはそれ以上にできた。女性 (17歳) は村役場の職員で、従軍看護師として部隊に従軍していた。

日本文学研究者のドナルド・キーン氏は、沖縄戦の際には米軍の通訳兵として1945年4月1日、読谷村から上陸し、捕虜の尋問や日本兵へ投降を呼び掛ける役割を担った。尋問に関わっていたドナルド・キーン中尉によれば、この撮影は住民への投降呼びかけのため米軍が仕組んだプロパガンダであったという。

語学将校ドナルド・キーン中尉が友人にあてた手紙
「… こっちは泥まみれで戦っているのに、あの2人は結婚だと。結構なことだな。」その横でカメラマンが2人の日本人を取り囲む。「はい、笑って。そうそう、笑顔で。キスしてくださいよ、彼女に...おや、新郎はどうかしたのかな?怖気づいたのかな?」 新聞記者が悪態をつく傍ら、カメラマンたちはあらゆる角度から写真を撮り続けた。こんな状況じゃ、結婚式を報じた記事が救い難いほどデタラメになるのも不思議はないだろう?いつものことだが、記者たちはお互いの話に夢中になりながら、こんな結婚式は『おまけ』みたいなものだと言い張っている。ぼくに言わせばこうだ。つまり、自分が実際に見聞きした出来事について新聞記事を見てみると、いつも話がねじ曲げられたり、誤っていたりした。すなわちキムラ氏の結婚式をアメリカ人の途方もない気前よさの表れと報じれば、まさにそう思い込んでいる世間の思惑に合致するのだ。アメリカ人が世界を守る偉大な救世主だなんて、記者たちがでっちあげたデタラメに過ぎないのに。
《保坂廣志『沖縄戦捕虜の証言-針穴から戦場を穿つ-』紫峰出版 2015年 124-125頁》 

米軍の調書によると、二人が米軍の仕組んだプロパガンダに協力したのは、日本軍によってひどい状態に追い詰められている沖縄人を助けたいという思いからであったとされる。

彼女の証言によると、「(西原村の)民間人は、作業部隊として徴兵されたのではなく、斬り込み隊として動員されたという。これらの人々は、米軍が村に侵入すれば、斬り込みすることになっていた」。

西原村からの防衛隊は200人が配属され、さらに近隣の宜野湾村から防衛召集者270人を加えると500人余が、西原村一帯に配置されている。彼等は作業部隊ではなく、文字通り必死の「斬り込み隊」であったという。

浦添村では4,112人の戦死者(戦死率44.6%)を出し、一家全滅は469戸にのぼった(一家全全滅率22.6%)。

二人は切り込み隊や強制集団死(集団自決)を選ぶのではなく、生き延びることを村民たちにアピールしたかったのだと思われる。

この写真は沖縄県公文書館の写真を渡邉英徳氏が彩色加工したもの。