rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

民間犠牲者を戦闘協力者に仕立てた日本政府のシナリオ——1945年4月23日の沖縄戦

真ん中に立っている防衛隊員の男性が「皆で一緒に死のう」と呼びかけ、壕の中の人々は男性のもとに集まった

伊江島では集団自決(強制集団死)が相次いだ。

沖縄戦の絵】伊江島「集団自決」
4月23日、壕の外に出てくるよう呼びかける米兵の声が聞こえてきた。しかし「捕虜になればみんな殺される」と聞かされていた壕の中の人たちは、出て行くことができなかった。真ん中に立っている防衛隊員の男性が「皆で一緒に死のう」と呼びかけ、壕の中の人々は男性のもとに集まった(1枚目の絵)。この直後、男性が爆弾を爆発させ、22人が一瞬のうちに命を落とした(2枚目の絵)。母に抱かれ…爆発で崩れた岩に首まで埋まったが一命を取り留め、助け出された。 …「集団自決」の真相を知ってほしいとの思いから、自決直前の壕の中で肩を寄せ合う親せきたち1人1人の様子を絵にした。
伊江島「集団自決」 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

日本政府は1952年に援護法(「戦傷病者戦没者遺族等援護法」)を制定した。

これは沖縄戦で亡くなった民間人に対する国家補償と理解され、赤ん坊を含めて多くの人たちが援護法の適用を受けた。

しかし援護法の内容は「軍入軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基づき、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的」とするものだった。

日本政府は沖縄戦における民間の死没者を、軍命による戦闘協力者として、死没者の遺族に遺族年金・遺族給与金及び弔慰金を支給するとともに、零歳児から高齢者に至るまで、軍人扱いをして靖国神社に祭神として祀った。(石原昌家「沖縄戦体験の捏造の系譜とその社会的背景」より)

その結果、沖縄戦における民間犠牲者は戦闘協力者とされ、靖国神社に合祀されることになった。日本防衛のために沖縄の住民は自ら進んで命を投げ出したというシナリオが、日本政府によって創作されたのだ。