rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

1945年4月15日の沖縄戦

78年前の今日。

沖縄本島北部の田舎の風景。名護の潜水艦待避所を見渡せる丘からの眺め。(1945年4月15日撮影)】 

名護のどこだろう。校舎らしきものが見える。羽地小学校だろうか。建物の裏に水田が広がっている。1950年代までの沖縄は水田の広がる光景がいたるところにあった。

【給食室、柔道の稽古、陣地構築の作業...写真に写る戦前の三中生徒たち 学校生活や風景鮮明に - 琉球新報】 

父の同級生は三中健児隊に志願し、戦死した。一人息子だった。父はボクたち家族を連れて、毎年戦死した友人の母親を訪ねた。家は名護からは遠い国頭村辺野喜にあった。ボクたちは辺野喜のおばーと呼んでいた。辺野喜のおばーは父の訪問を息子のように喜んだ。

【軍政府によって老人用収容所へ移送されるのを道路脇にしゃがみこんで待つ老女(1945年4月15日撮影)】

 腕のハジチ(針付き)の模様が美しい。

【哨戒中の海兵隊員が、丘のガマから出てきた民間人を収容所へ避難させている様子。沖縄本島にて。この収容所は、第6海兵師団輸送所内にある。1945年 4月15日】 

1960年代までの沖縄では10歳前後の少女が乳飲み子を子守りするのは一般的な慣習だった。それは賃労働ではなく、自分の家族だけではなく、近所の子を頼まれてする子守りであることも多かった。