rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

1945年4月14日の沖縄戦

78年前の今日。米軍はヒューマニズムあふれる写真を撮るが、証言ではその逆のケースが多かった。

「島袋 (民間人収容所) では、とても苦労しました。島袋の部落は無傷で残っていましたけれど、沢山の避難民が集められたので、食糧不足だったんです。それから、アメリカーが乱暴するので、こわくてですね。年寄りでも男の人がいるところは、いくらかよかったんでしようが、私は親子二人だけですから......。長男(十九歳)は兵隊にとられていましたし、あとの次男、三男、四男はばらばらになって逃げていなくなっているし、私はおんぶしていた五男(四歳)と二人きりでしたから。
私は子供をおんぶして毎日イモ掘りに出かけました。一軒の家に何十人も詰込まれて、窮屈でしたけれど、外出は割合に自由でした。ただ若い娘は、道を歩いていても、アメリカーから無理矢理に引張られてつれて行かれていました。ほんとうにこわかったんですよ。一緒にイモ掘り作業に行っても、若く見える女は、すぐ引っぱられていました。助けてーしても、男の人も誰も助けることができませんでした。もし男の人が助けようとすると、アメリカーは銃を持っていて、撃つんですから、どうにもなりませんでした。ほんとに撃ち殺すんですよ。
北谷砂辺篇《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》」