rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

1945年4月16日の沖縄戦

 

78年前の今日、伊江島の『六日戦争』が始まる。

【1945年4月16日、読谷村古堅の部落を通過するアメリカ軍戦車】

戦車が進撃しているのは、もうほとんど残されていない、懐かしい沖縄の風景の中だ。この両方がボクたちの出発点となる。

【VC-84中隊のTBM機により、伊江島に対してナパーム弾攻撃が行われているところ。(1945年4月16日撮影)】

空爆される伊江島の集落。どの家も屋敷林に囲われている。おそらく台風に強い福木だろう。夏は涼しく、冬は北風を防いだ。1980年代に那覇市で市木の選定があったとき、福木が選ばれてしまった。戦後の那覇に出てきた人々は、福木並木の下で育った人が多かったからだ。緑化の関係者は「値段の一番高い木が選ばれた」と愚痴っていた。

伊江島の様子。護衛空母マキン・アイランド(CVE-93)の艦載機から撮影。廃墟と化した建物。約500フィート上空から見たところ。(1945年4月16日撮影)】

先ほどの風景はほとんど跡形もなく焼き尽くされている。

【沖縄島を横断するトラック部隊。この部隊は第1海兵師団第1連隊第3大隊に所属しており、司令官はサベル中佐である。(1945年4月16日)】

昔の「名護の七曲がり」あたりだと思われる。海岸沿いの曲がりくねった道を繰り返し廻ると、その奥に名護の街がある。

これは1947年の「七曲がり」。前の写真と同じ地点だろうと思われる。薪らしきものを背負って道ゆく人の姿が確認できる。尾根の頂上近くまで段々畑が耕されている。まだ本格的な米軍基地建設が始まらず、人々は自給に近い暮らしを続けていた。自然の生態系はまだ破壊されていなかったので、貨幣経済的には貧困だったが、生存経済的には豊かな社会だったといえる。

【飛行場で発見された擬装用のわら製飛行機。(1945年4月16日撮影)】

あまりにも情けない日本軍の姿。近代社会と呼ぶには哀しすぎる。