1945年4月16日の沖縄戦
78年前の今日、伊江島の『六日戦争』が始まる。
戦車が進撃しているのは、もうほとんど残されていない、懐かしい沖縄の風景の中だ。この両方がボクたちの出発点となる。
空爆される伊江島の集落。どの家も屋敷林に囲われている。おそらく台風に強い福木だろう。夏は涼しく、冬は北風を防いだ。1980年代に那覇市で市木の選定があったとき、福木が選ばれてしまった。戦後の那覇に出てきた人々は、福木並木の下で育った人が多かったからだ。緑化の関係者は「値段の一番高い木が選ばれた」と愚痴っていた。
先ほどの風景はほとんど跡形もなく焼き尽くされている。
昔の「名護の七曲がり」あたりだと思われる。海岸沿いの曲がりくねった道を繰り返し廻ると、その奥に名護の街がある。
これは1947年の「七曲がり」。前の写真と同じ地点だろうと思われる。薪らしきものを背負って道ゆく人の姿が確認できる。尾根の頂上近くまで段々畑が耕されている。まだ本格的な米軍基地建設が始まらず、人々は自給に近い暮らしを続けていた。自然の生態系はまだ破壊されていなかったので、貨幣経済的には貧困だったが、生存経済的には豊かな社会だったといえる。
あまりにも情けない日本軍の姿。近代社会と呼ぶには哀しすぎる。