伊豆味小『命どぅ宝の心』を観て
昨日(4月16日)、もとぶ文化交流センターで開かれた「みらいフェス」で伊豆味小学校5、6年生による平和劇『命どぅ宝の心』を観る。
「地に足をつけて、沖縄戦、本部町の戦争について学び、子どもたち自身でシナリオも小道具も作って仕上げた」とのこと。
子どもたちが地元で起きた戦争による惨劇を必死になって伝えようとする姿が印象的だった。
地元で起きたこと、この記憶の掘り起こしが重要なのだと思う。
文化交流センターには沖縄戦を知る展示があり、第二次世界大戦の年表が展示されていた。なにげなくそれを見ていると、4月28日にムッソリーニが銃殺され、4月30日にはヒトラーが自殺したことが記されている。
三国同盟の二つの国が敗北しているのに、日本だけが単独で8月15日まで戦っていたという単純な事実に気づかされる。もし4月末か5月初頭にでも敗戦を受け入れていたら、沖縄戦も壊滅的なところまで行かず、広島・長崎の原爆もなく、満州の死の逃避行もなかったのだ。
日本のエリート層の判断に甘さにゾッとした。彼らの頭の中はそれこそ「お花畑」だったのだ。
子どもたちの平和劇を見た後で、本部半島における沖縄戦を少しだけ勉強した。
本部半島の八重岳の麓には国頭支隊(宇土部隊)の司令部があり、その約100m上部の谷間を利用して八重岳野戦病院(陸軍病院名護分院)を設置されていた。
4月11日、米軍が国頭支隊主陣地への攻撃を開始した際も、宇土支隊長は重砲を一度たりとも放つことはなかった。いわゆる「一度も放たれることのなかった重砲」である。宇土部隊は待てども待てども沈黙を保ち続け、一方で米軍はますます迫り来る。
とうとう米軍が村に陣地を構える。住民を「収容」し、食料を与える。そしてその米軍が与える食料を狙って、夜、日本刀を振りまわし、飢えた日本兵がやってくる。米軍と日本兵。沖縄戦は、なんとも矛盾に満ちたダブルバインドの恐怖に住民を落とし込んだ。
宇土部隊は、4月17日に八重岳の陣地を放棄、300人の負傷兵を置き去りにして敗走した後、食料強奪や住民虐殺を続けながら、沖縄本島北部の密林に潜伏していく。
日本軍は協力的だった住民をスパイ容疑で次々と殺害していく。軍の内部事情に精通しているので情報が米軍に渡ることを恐れたのだ。
宇土部隊の行動は、満州で150万人といわれる邦人を置き去りにして敗走した関東軍を思わせるものだ。日本軍にはリアルな戦争を遂行するような分析力も精神力もなかったのだと嘆ずるしかない。