rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

国家に従順な身体ではなかった久高島の神人

米軍占領後の伊江島の地元民。写真撮影のために並んでいる地元の子ども。(1945年4月25日撮影) Natives of Ie Shima, Ryukyu Islands after American occupation. Native children lined up for photo. 写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

規律・訓練を通して権力に従順な身体ができあがる。近代の学校教育は号令一つで並ぶ身体を創り出す。そのような訓練の成果として、国家のために死ぬことのできる国民が創り出される。

その一方で国家に従順ではなく疑問を投げかけることのできる身体がある。久高島の神人(かみんちゅ)だ。

男性が兵隊にとられ女性がほとんどになっていたこの島の住民を、日本軍は屋嘉部落 (金武町) に強制疎開させた。

ところが日本軍は住民の食糧をあさるようになった。

久高島の神人は兵隊に向かって、「これでは日本は負けるね」といい、「負けたら私らはさっさと手をあげて降参するさ」といった。

多くの住民はこのように言い返すことができずに、強制集団死(集団自決)に追い込まれた。神人は最後のギリギリで、国家に従順な身体であることから免れることができたのだ。

軍はしまいには配給どころか、兵隊が私らのところに物もらいにくるようになってきましたから、私は、「この戦争はもう勝つはずはないさ。こっちはあんな遠い遠い東の島から子供たちをひきつれてきたのにね。あんたたちまでこっちの食い物を乞うて食べたら、私たちは誰が守ってくるね、兵隊さん」こういってやりましたよ。
私らも日本が勝つようにと東にも西にも手を合わせて拝みをしてきましたが、兵隊が住民の食糧をあさるようではもう誰の味方かわからない。「これでは日本は負けるね」と言ったら、兵隊は「日本が負けたらどうなるか」というから「負けたら私らはさっさと手をあげて降参するさ」と答えると、兵隊はこわい顔をして「誰が教えたか」ときくから、「誰がも教えない。おばさんはちゃんとわかっているさ。神さまが教えてくれるさ」と言ってやりましたよ。私は久高の神人ですからね。

沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》島を追われて