rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

乳幼児を農家に里子に出す風習

ヨーロッパの貴族階級や富裕層には、乳幼児を農家の乳母に預けるという風習があった。社会史家のエリザベート・バダンテールによると17世紀からブルジョワジーのあいだでその風習が広まったようだ。

数多くの資料によれば、里子の習慣がブルジョワジーのあいだに広まったのは17世紀のことである。この階級の女たちは、子育てのほかにすることがたくさんあると考え、そう公言してはばからない。(中略)だが、里子の習慣が都会のすべての階級に浸透するのは18世紀になってからである。貧しい者から裕福な者まで、大都市だろうと小さな町だろうと、子どもが田舎へ送られるのは、一般的な現象だった。

エリザベート・バダンテール『母性という神話』鈴木晶訳)

文中の里子というのは、乳幼児を農家の乳母に数年にわたって預けることをいう。

次の絵は16世紀後半の作品で、農家の乳母に乳幼児が預けられるシーンが描かれている。

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マールテン・ファン・クレーフェ作《乳母への訪問》16世紀後半。

画面左で背中を向けてジョッキを振っているのは領主だ。中央で赤ん坊を抱いているのが乳母で、赤ん坊をくるんでいたシーツを持っているのが領主の妻で赤ん坊の母親だ。

手前には農家に相応しくない立派な揺り篭が置かれている。

領主夫妻がこの赤ん坊の両親で、農家の乳母に赤ん坊を預けに来たシーンが描かれている。

マールテン・ファン・クレーフェ(1527-1581)はピーテル・ブリューゲル(父 1525-1569)とほぼ同時代のフランドルの画家で、アントウェルペン(ベルギー)で活動している。

農家の土間では、鶏やアヒルや豚、猫たちが人間と入り混じって暮らしている。右側の土間の出入り口には農作物を運び入れる農民の姿が見える。農民たちは領主が訪問してきたからといってかしこまってはいない。日常生活のままで迎え入れるだけだ。

領主夫妻も農家の一員となって寛いでいる。

ブルジョワの時代が開始されるまでは、人間と動物たちが入り混じる農家の雑多な家で領主が寛ぐことができたのだ。乳幼児を農家に里子に出す風習の背景には、そのような領主と農民との隔てのない関係性があったのだろう。

ブルジョワの時代とともに、そのような関係性が失われたまま、乳幼児を里子に出す風習が広まっていったようだ。