rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

慈悲は神に対する贈与だった

ピーテル・ブリューゲル(子)の作品に《慈悲の七つの行い》という絵がある。七つの行いというのは、新約聖書の「マタイによる福音書」によるもので、死者の埋葬、囚人の慰問、食物の施与、衣服の施与、病気の治癒、巡礼者の歓待、飲物の施与のことをいう。

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

(「マタイによる福音書」25章34~40節)

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ピーテル・ブリューゲル(子)作《慈悲の七つの行い》43.5 × 58.6 cm  アントワープ王立美術館

ピーテル・ブリューゲル(子)の作品はピーテル・ブリューゲル(父)の版画の下絵に基づくものだ。

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ピーテル・ブリューゲル(父) 《慈悲》 22.3 × 29.4 cm、1559年、 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館

絵が左右反転し、絵の中心に慈悲を象徴する女性(女神)が描かれていないことをのぞくと、子の作品は父の作品を忠実に模したものだといえる。

父の作品が描かれたころは、フランドル地方宗教戦争の真っ最中だった。哲学者のミシェル・フーコーによると、宗教戦争のあいだに貧困(=悲惨)は神聖さを失い、17世紀には無為怠惰が悪徳とみなされるようになっていく(『狂気の歴史』)。貧困(=悲惨)な者は無為怠惰な者とされ、取り締まりの対象となっていくのだ。

慈悲は神に対する贈与だった。神に対する贈与という意識が失われると、慈悲は神聖さを失い、施しという人間的な行為に変化していく。

まだ慈悲が生活の中で生きていた時代を、親子二代にわたって描いたのだといえる。子の作品の中では慈悲を象徴する女性(女神)が描かれなくなる。それは慈悲の変化を物語るものだ。しかしまだ貧困(=悲惨)を悪徳だとする見方を持っていない。

そこにぼくたちは救われるのだといえる。