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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

ホルバインと聖像破壊運動

次の絵は、ハンス・ホルバインが自分の家族を描いたものだ。ヨーロッパの絵画で親密な家族の姿が描かれるようになるのは、17世紀になってからのことだ。一般的に16世紀の家族の肖像画は、一族や一門を描くもので、家族間の親密な情愛が描かれることはほとんどなかった。

ホルバインの描く家族は、16世紀初頭のものだが、一族意識や一門意識を描くのではなく、親密な情愛が感じられる絵となっている。このような絵は、「家族の肖像画」としては、きわめて早い時期に属する。

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ハンス・ホルバイン作《画家の家族の肖像》(1528-29年)バーゼル美術館(スイス)

ホルバインは1526年に、単身でイングランドに渡り、1528年にいったん帰国している。その帰国中に描かれた絵だ。

妻は悲しげなまなざしでうつむき、子どもたちは不安げな表情を見せている。これは夫であり父親であるホルバインの3年にわたる不在を悲しむ絵なのだろうか。

夫の不在を悲しむとしたら、それは家族構成員が掛け替えのないものとなっている現代的な家族意識に近いものだといえるだろう。

しかし16世紀のヨーロッパでは、親密な情愛によって結ばれた家族は、まだ成立していなかった。

16世紀のドイツ語には、親子集団を示す固有の言葉が欠けていた。M.ミッテラウアーとR.ジーダーによると、現代ドイツ語の「ファミーリエ」は、18世紀に始めて一般的な言葉として浸透するということだ。

現在のドイツ語の「ファミーリエ」は、18世紀に始めて一般的な言葉として浸透する。この言葉は、フランス語の「ファミーユ」からくるものであり、……したがって18世紀に、西欧では核家族がはっきりとした特徴をもってまず存在したのにたいし、中欧では特別な単位として明確な形をとるには時間がかかったといえる。中欧では、独自の用語が欠けていたために、フランス語から借用して、この言葉が広がっていった。
M.ミッテラウアー/R.ジーダー(若尾祐司他訳)『ヨーロッパ家族社会史』

家族(ファミリー)という言葉は、古くは名立たる家系や一族を意味する言葉だった。17世紀にそれが、「一緒に暮らす家族」を意味するものへと変化していく。ドイツでは、「一緒に暮らす家族」という意味での家族意識が確立されるのは、18世紀に入ってからのことだった。

ホルバインが16世紀初頭に描いた家族は、悲しげで不安げな表情をしている。それを17、18世紀以降の感覚で、父親の不在によるものだととらえることはできない。他にも要因を考えることができるのである。

それは16世紀のヨーロッパで起きた、聖像破壊運動(イコノスクラム)である。

宗教改革で、原理主義的なプロテスタントがキリストや聖人の画像は偶像に相当するとして教会に飾ることを禁じた。

ジュネーヴアントワープでは、教会がプロテスタントの掠奪に遭い、中世とルネサンスの貴重な美術作品が大量に破壊された。チューリッヒでも、宗教改革運動に触発された民衆が教会に入り、祭壇や像を打ち壊した(1523年)。

ホルバインがプロテスタントカトリック教徒であったかは不明である。

生まれ故郷のアウクスブルク(南ドイツ)はカトリック信者の多い都市であったが、ルター派の根拠地ともなり、両派の激しい対立があった。

ホルバインが画家として活躍したバーゼル(スイス)は、商業都市でもあり信仰的にも栄えた町であったが、1521–23年にかけてプロテスタントによる聖像破壊で打撃をうけた。ホルバインの作品もその対象となり、初期の作品を除くバーゼルでの作品は、ほとんどが破壊されたものとみられている。

次の2枚の絵は、無名の画家が描いた聖像破壊運動のルポルタージュである。ホルバインがカトリック信者だったとすると、ホルバイン自身が攻撃される対象になる。1526年に単身でイングランドに移住した理由もそこにあり、ホルバインが1528年に一時帰国したときの家族の不安げな表情も、そこにあるのだといえるだろう。

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1523年のチューリヒにおける道端の十字架の破壊の描写

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1530年のドイツの木版画ルター派の破壊は、判事や領主の指揮により整然と行なわれた。飾りのない祭壇だけが残った。

ホルバインが画家として活躍していたバーゼルは、1528年には宗教改革の流れの中でカトリックの司教を追放し、プロテスタント勢力の一員となった。ちょうど《画家の家族の肖像》が描かれた時期であった。家族の不安な面持ちは、それに由来するものだといえるだろう。

ホルバインは1532年に、再び単身でイングランドに渡っている。その頃までのイングランドは、カトリックの国だったのである。イングランド国王ヘンリー8世は、ローマ教皇レオ10世から「信仰の擁護者」の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者であった。

(続く)