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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

クラナハ――宗教改革とエロスの両立(前)

クラナハ

ルーカス・クラナハ(1472-1553)の描く裸婦は、肉体の美に新しいものを付け加えたまれな例だと、美術評論家は言う。

クラナッハは、肉体の美についてのわれわれの想像力のレパートリーに新しいものをつけ加えた稀な芸術家のひとりである。
ケネス・クラーク(高階秀爾他訳)『ザ・ヌード』

そのたぐい稀な裸体画の傑作は、1530年代以降に描かれる。

彼の名声を高からしめた一連のあの見事な裸体美の作品を描くのは、1530年以降、すなわち彼が60歳になってからのことである。(同前)

1530年代というのは、農民戦争の後でプロテスタントカトリック新旧両派の宗教戦争が始まる時期にあたっている。なぜその時期に、新しい肉体の美が描かれたのだろうか。その問いを解くために、まず宗教改革以前のクラナハの絵をみてみよう。

ルターによる宗教改革(1517年)以前のクラナハの絵は、初期フランドル派のような、中世的余韻を残すものだった。

次の版画は1506年に制作されたクラナハの《聖アントニウスの誘惑》だ。そこにはヒエロニムス・ボスが描くようなネイティブな悪魔たちが描かれている。

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ルーカス・クラナハ作《聖アントニウスの誘惑》(1506年)

初期フランドル派は、イタリア・ルネサンスの影響を受けることなく、ネイティブな美意識によって作品を制作した。クラナハにもネイティブな要素は高かったのである。

しかしクラナハには、ネイティブな美意識とは異なる美意識もあった。それは女性の裸体を神秘的な、そしてなまめかしいものとして描くという点であった。

初期フランドル派も女性の裸体を描くことはあったが、そこには神秘性はなかった。女性の裸体は「最後の審判」や「アダムとイヴ」のように、裸でなければならない場面で描かれた。しかしその裸体にはエロチックな要素は少なかった。

次の版画は《聖アントニウスの誘惑》と同じ1506年にクラナハによって制作されたものだ。女性が裸体である必要のない宗教的なテーマも、女性を裸体で描いている。

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ルーカス・クラナハ作《恍惚の中で悔悛するマグダラのマリア》(1506年)

マグダラのマリアは、キリスト教の主要教派(ギリシャ正教会カトリック教会・聖公会)でいずれも聖人に列せられている。イエスの死と復活を見届けた証人であった。西方教会カトリック教会、聖公会)では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した罪の女」とした。

クラナハは「悔悛した罪の女」としてのマグダラのマリアを、裸の女性として描いたのである。聖人を裸婦として描くことが、初期フランドル派と異なる点であった。

初期フランドル派のロヒール・ファン・デル・ウェイデンの描く《マグダラのマリア》と比べると、クラナハの表現がいかに新しいものであったのかがよくわかる。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作《マグダラのマリア》(1450年)

(続く)

 

 

 

宗教戦争の前にドイツ農民戦争(1524-25年。キリスト者の自由という平等を求める社会革命)が起こる。ルターは農民戦争の指導者たちを悪魔の手先だと糾弾し、ルター派の諸侯に、農民戦争に参加した農民たちの弾圧を命じた。このドイツ農民戦争が終わってから、プロテスタントカトリック教会による本格的な宗教対立が開始される。ドイツ農民戦争では、10万人の農民が殺されたとされる。