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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

現実の人間との至近距離で描かれた聖母マリア

ファン・エイク 聖母マリア 騎士道

ヤン・ファン・エイクの描く聖母像では、聖母と現実の人間が、至近距離に描かれている。これはファン・エイク以前の聖母像には見られない特徴だった。

ファン・エイクの代表作の一つである《宰相ニコラ・ロランの聖母子》は、ブルゴーニュ公国の宰相であるニコラ・ロランの墓碑祭壇画として制作されたものだ。

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ヤン・ファン・エイク作《宰相ニコラ・ロランの聖母子》(1435年頃)ルーブル美術館

幼子イエスを抱く聖母マリアの上方には、天使が翼を広げ、聖母に戴冠しようとしている。宰相ニコラ・ロランは、その聖母と等しい高さに描かれ、中間に媒介するものがなく、直接聖母子を礼拝している。

《宰相ニコラ・ロランの聖母子》と同じく、依頼者の墓碑祭壇画として制作された《ヴァン・デル・パーレの聖母子》では、ブルッヘの聖職者であるヴァン・デル・パーレが、聖騎士ゲオルギウスと、ブルッヘの守護聖人ドナティアヌスのサポートを受けて、聖母子に対面している。

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ヤン・ファン・エイク作《ヴァン・デル・パーレの聖母子》(1434-35年)グルーニング美術館(ブルッヘ)

この絵でも、聖母マリアと絵の依頼主ヴァン・デル・パーレは、服が触れ合うほどに接近して描かれている。

ファン・エイクよりも十数年ほど前に描かれたマサッチオ(1401-1428、イタリア)では、聖母子は次のように描かれている。

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マサッチオ作《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》(1422年)

この絵に描かれた聖母子は、現実の人間たちが触れえるものではなかった。天使たちだけが至近距離で接することができたのである。

ピエロ・デラ・フランチェスカ(1416-1492、イタリア)が1460年代に描いた聖母マリアは、人間たちが触れることがあったとしても、現実の人間たちと対等な位置づけを持つことはなかった。聖母マリアは至上の存在だったのである。

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ピエロ・デラ・フランチェスカ作《慈悲の聖母》(1460-62年)

マサッチオやピエロ・デラ・フランチェスカの描く聖母マリアと比べると、ファン・エイクの描く聖母マリアは、現実の人間たちが触れえるほどの存在となっている。

この聖母マリアと現実の人間の近さは、騎士道に関連するのかもしれない。騎士道は貴婦人に仕えることをコード(準拠すべき倫理規定)としていた。騎士道でいう貴婦人とは、聖母マリアのことであった。

この騎士道によって、聖母マリアと現実の人間との距離が近くなってしまったのかもしれない。

ヤン・ファン・エイクが宮廷画家として仕えたブルゴーニュ公国は、騎士道文化の中心地であった。