読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

スペインの異端審問とゴヤ

ゴヤ

フランス革命の影響を受けたゴヤは、批判精神を研ぎ澄ませていく。ゴヤの批判の的のひとつに、異端審問があった。

異端審問とは、中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムのことをいう。

15世紀末からスペインでは、ローマ教皇のコントロールを離れた独自の異端審問が行われていた。つまり、国王は自由に異端審問する権限を持っていたのである。

異端審問は告発者が秘密であることが特色であったため、しばしば異端と関係ない無実の人々が恨みなどから、あるいは王室から与えられる報奨金目当てに訴えられることも多かった。「スペイン異端審問」は、ヨーロッパでは、理不尽な尋問の代名詞として定着している言葉だった。

異端審問に対するゴヤの批判は痛烈だった。

f:id:rapanse:20160330222503j:plain

ゴヤ作《ほこり》「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」シリーズ(1797-99年)

この版画の意味は、叩けば誰でもほこりが出るという意味である。告発を受けた者は有罪とされることが多かった。異端審問を受けた被告は、公衆の面前で異端であることを示す服を着せられて、見世物にされる。スペインでは、異端審問する権限は国王が握っていたので、このような見世物は、国王の権力を示す絶好の機会となった。

この異端審問は、フランス占領下の1808年に廃止される。しかし、いったん廃止された異端審問は、1814年にスペインがフランスからの独立を成し遂げたときに復活する。そして、異端審問を批判していたゴヤも、被疑者として異端審問を受けることになる。

容疑はゴヤの代表作のひとつである《裸のマハ》である。裸体表現はほかのヨーロッパ諸国では珍しいものでもなかったが、スペインでは厳禁であった。ゴヤはそのタブーを破ったのである。

f:id:rapanse:20160330225103j:plain

ゴヤ作《裸のマハ》(1798‐1800年頃)プラド美術館マドリッド

この作品の制作から15年近く経過した1815年に、ゴヤは異端審問所に召還されている。この1815年前後に描かれた異端審問の絵がある。

f:id:rapanse:20160330225716j:plain

ゴヤ作《異端審問の法廷》(1812-19年頃)

この絵が、ゴヤ自身の異端審問の様子が描かれた絵なのかどうかはわからない。しかし、「ロス・カプリチョス」シリーズで描かれた異端審問と比べると、当事者性は高いようにおもわれる。

「ロス・カプリチョス」では、告発者よりも見世物に魅入る民衆の姿が、中心に描かれているが、《異端審問の法廷》では、そのような民衆層の姿は、背景に退いている。被疑者を裁く者たちが幾重にも被疑者たちを取り囲んでいる。圧倒的に人数の多い審問官たちの中で、被疑者たちの姿は、「ロス・カプリチョス」に比べると、小さく描かれている。この被疑者たちの小さな姿に、ゴヤの当事者性を感じることができるのである。

スペインのフランスからの独立後に、ゴヤの批判精神は方向を変えていく。社会批判にとどまるのではなく、自己を含めた人間の存在自体の愚かさに、その批判精神は向かっていくのである。