rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

クールベ、マネとパリ・コミューン

パリ・コミューン(1871年)には多くの芸術家が参加した。ギュスターヴ・クールベ(1819-1877 )はパリ・コミューンに参加するが、国防政府軍に敗北し、逮捕される。2年後の1873年にスイスへ亡命し、晩年はアルコールにまみれながら風景画等を描いたとされる。

エドゥアール・マネ(1832-1883)もパリの防衛のためにこの戦いに加わる。

パリ・コミューン(仏語: Commune de Paris、英語: Paris Commune) パリ市の自治市会だが、一般に世界初のプロレタリアート独裁政府のことを指す。
1871年3月から5月までパリに存在した、世界ではじめての社会主義政権。
普仏戦争後の1871年3月26日に、蜂起したパリ民衆が国防政府を倒して革命政府(自治政権)であるパリ・コミューンを樹立したが、約2ヶ月で政府軍によって鎮圧され、フランス第三共和政に移行した。
多くの文学者や芸術家が参加、もしくは体験した。
(「はてなキーワード」より)

クールベの代表作の一つである《画家のアトリエ》は、パリ・コミューンの16-17年前に描かれているのだが、プロレタリアートや芸術家たちによるパリ・コミューンの蜂起を予想していたかのように、ブルジョワジーと芸術愛好者たちとを分けて描いている。

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クールベ作《画家のアトリエ》(1854-55年)オルセー美術館

《画家のアトリエ》で中央に陣取る絵描きはクールベ自身だ。画面右側部分には彼の友人・知人、後援者など画家と親しい人々が描かれている。

いちばん右はじで読書にふけっているのは、シャルル・ボードレール(1821-1867)だ。ボードレールはこの絵が描かれた二三年後に詩集『悪の華』(1857)を出版している。

画面左側部分には当時の政治家など、芸術に縁のない社会的階層(ブルジョワ階級)の人物が描かれている。

パリ・コミューン当時、ボードレールはすでに亡くなっている。そして、ボードレールに代わるかのように、アルチュール・ランボー(1854-1891)が17歳でパリ・コミューンに沸き立つパリに出現することになる。

マネは1871年に《内戦》というタイトルのデッサンを描いている。おそらくパリ・コミューンの戦乱のスケッチだろう。

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マネ作《内戦》(1871年)

クールベ、マネ、ランボーパリ・コミューンに参加していた。フランスの芸術は、芸術家が直接政治に参加することによって、大きく開花したといえるだろう。