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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

レンブラントとゴッホによる《ラザロの甦り》

レンブラント ゴッホ

ヨハネによる福音書」によると、イエスは死後四日たつラザロを復活させている。ラザロはイエスの弟子だった。以下はラザロの姉妹であるマルタとイエスの会話である。

イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
ヨハネによる福音書」11:23-27(日本聖書協会

マルタが言ったのは「最後の審判の日」の甦りのことである。その日には全人類が甦り、神の裁きを受けることになっていた。イエスがそのような意味でラザロが甦ると言ったのだろうとマルタは受け取ったのである。

啓典宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教)では、神に選ばれた者たちは、「最後の審判の日」に、永遠の生命を得ることになっていた。

ところが、イエスが言った甦りは、それとは異なることだった。イエスは「わたしはよみがえりであり、命である」と言ったのだ。つまり、未来に得る永遠の生命ではなく、現在において、イエスは死者を復活させ、永遠の生命を与えると言ったのだ。

ラザロの復活で重要なことは、現在における永遠の生命の獲得である。そして、永遠の生命を獲得したのならば、死は重要な問題ではなくなる。死後の生ではなく、現時点での生が、永遠の生命となるからである。

次の絵はレンブラントによる《ラザロの復活》である。

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レンブラント作《ラザロの甦り》(1630年)ロサンゼルスカウンティ美術館

ラザロが復活し、イエスによって永遠の生命を授かるシーンである。

ぼくたちは死者の復活にこだわる必要はないだろうと思う。アルコール依存や薬物依存、うつ病などのメンタルな病で、ぼくたちの多くは、幾度も、精神的な死を経験している。死の淵から甦るとき、ぼくたちが永遠の生命を得ることができるかどうかが問題なのだ。

レンブラントエッチング(銅版画)でも同じテーマを表現する。

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レンブラント作《ラザロの甦り》(1632年)

銅版画ではラザロを照らす光は強烈なものになっている。イエスの掲げた左手に導かれて、強烈な光がラザロにあてられる。その光によって、ラザロは甦るのだ。

この銅版画は、サン・レミのカトリック精神病院に入院している時期のゴッホによって模写されている。

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ゴッホ作《ラザロの甦り(レンブラントによる)》(1890年)ヴァン・ゴッホ美術館

ゴッホはイエスを描かずに、ラザロの甦りに驚く人たちだけを描いている。イエスの代わりに描かれているのは、太陽だ。レンブラントの版画でラザロを照らしている光源が、ゴッホでは太陽として描かれているのだ。

レンブラントの銅版画から2世紀半の時を経て、ゴッホの模写ではイエスの姿は消える。ゴッホの時代では、もはやレンブラントのようにイエスを描くことはできないのだ。それでもゴッホは、永遠の生命を描こうとしていたのだろう。

永遠の生命を描くことは、自己の狂気と向き合いながらの作業であり、狂気と向き合うからこそ可能な作業であったといえる。