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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

イタリア・ルネッサンスの最盛期と宗教改革

ローマ教皇ユリウス2世(在位1503-1513)とレオ10世(在位1513-1521)は、ミケランジェロ(1474-1564)とラファエロ(1483-1520)を使って、ローマにあるヴァチカン宮殿とその周辺の教会をフレスコ画で飾る。下の絵はイタリア・ルネッサンスの最盛期を代表する作品の一つである。

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ミケランジェロ作《アダムの創造》1511年、システィーナ礼拝堂

ユリウス2世とレオ10世は芸術家たちのパトロンとなり、ルネッサンス教皇とも呼ばれた。この二人の教皇の時代に、イタリア・ルネッサンスは最盛期を迎える。

それは壮大な芸術が完成する時代であるとともに、教会を飾るために地上の富を蕩尽する時代でもあった。

教皇レオ10世は教会建設の資金募集をした。それが「免罪符」と呼ばれるものである。ドイツのマルティン・ルター(1483-1546)はそれに反発し、宗教改革(1517年)を起こす。

ここで首をかしげてしまうのは、ルターの怒りである。寺院建設のための資金募集は、歴史上多くの社会でなされたことであった。中世の日本でも勧進聖(かんじんひじり)という存在がいて、全国を巡行して寺院建設のための資金集めをしていた。

レオ10世のやったことは派手ではあったが、糾弾されるほどのものともおもえない。ルターの怒りのもとは、違うところにある。それは富の蕩尽の拒否である。

ルターの支持者であったアルブレヒト・デューラー(1471-1528)は、1490年代に次のような素描を描いている。

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デューラー作《ベネツィアニュルンベルクのドレスの対比》1496‐97年

右側がベネツィア(イタリア)の女性で左側がニュルンベルク(ドイツ)の女性だ。ベネツィアの女性が着飾っているのに対して、ニュルンベルクの女性は質朴な身なりを心がけているという対比になっている。胸元を強調する肌の露出が違うのである。

教会で祈りを捧げるとき、ベネツィアの女性は乳首まで露わになるが、ニュルンベルクの女性のドレスではそういうことは起こらない。デューラーは、暗にベネツィアの女性の信仰心が薄く、ニュルンベルクの女性は信仰心が篤いことを強調しているのである。

この対比は、素描が描かれてから20年後には、富の蕩尽に対する拒否(ルターの宗教改革)となって表わされることになる。レオ10世の免罪符は、そのきっかけづくりの役割を果たしたのだといえる。

ルネッサンスのピークを境に、ヨーロッパは二つの世界に分裂していくことになる。質朴を尊ぶ世界(プロテスタント)と、吝嗇(けち)であることを卑しむ世界(カトリック教会)とに。