rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

西洋近代絵画を変えたマネの《オランピア》

エドゥアール・マネ(1832 - 1883)はスキャンダラスな画家だったとミシェル・フーコーはいう。マネのある作品は、「展覧会にやって来たブルジョワジーたちが傘でこの絵に穴を空けようとするほどまでに」、ブルジョワジーたちを激高させた。それは1863年に描かれた《オランピア》だった。

ご存じのように、この《オランピア》は、1865年の官展(サロン)に出品された際にスキャンダルを引き起こしました。結局、この絵の展示を取りやめざるを得なくなるほどのスキャンダルだったのです。展覧会にやって来たブルジョワジーたちが傘でこの絵に穴を空けようとするほどまでに、この絵は下品なものと映ったのです。しかし、西洋絵画において女性の裸体が表象されるのは16世紀まで遡る伝統であって、《オランピア》以前にも多くの例が見られたわけですし、そもそも、《オランピア》がスキャンダルとなったまさにその官展においても、そのような絵はほかにあったのです。一体、この絵のどこが、見るに堪えないとされるほどにスキャンダラスだったのでしょうか。
(ミシェル・フーコー(阿部崇訳)『マネの絵画』)

サロンというのはルーヴル宮サロン・カレ(方形の間)のことをいう。フランス、パリの芸術アカデミーの公式展覧会がここで開かれたので、官展のことをサロンといった。サロンでの展示は芸術家にとってフランス国内での成功を成し遂げたことを意味した。

そのサロンで《オランピア》はスキャンダラスな作品とみなされたのである。《オランピア》のどこがスキャンダラスだったのだろう。

マネの《オランピア》は、ティツィアーノヴェネツィア共和国、1488/1490 - 1576)の《ウルカーノのヴィーナス》(1538年頃)をモデルとしている。二つの絵を並べてみよう。

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マネ作《オランピア》(130.5 cm × 190 cm、オルセー美術館収蔵)

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ティツィアーノ作《ウルカーノのヴィーナス》(119 cm × 165 cm、ウフィツィ美術館収蔵)

 

並べてみると、マネがティツィアーノの《ウルカーノのヴィーナス》を意図的に真似ていることがわかる。ベッドもクッションも同じ位置にあるし、女性の右手の位置、左手の腕輪、両足の組み方もほぼ同じである。

異なる点は、ベッドの右脇の居眠りする犬と尾を立てる猫、モデルへの召使の距離の違いくらいである。その二点が異なるだけで、モデルのポーズはほぼ同じだといえる。

それならマネのどこがスキャンダラスだったのだろうか。

フーコーは光源の違いだと指摘する。

ティツィアーノのヴィーナスでは「上方左の方に光源があって、それが優しく女性を照らし出して」いる。

ティツィアーノの《ヴィーナス》においては、裸の女性が一人、ほぼ同じ姿勢で横たわっていて、彼女の周囲には、こちらと同様に布が描かれています。また、上方左の方に光源があって、それが優しく女性を照らし出していて、……われわれ鑑賞者は、その光と裸体との戯れの現場を目撃している、ということです。(フーコー同前)

しかしマネのオランピアでは、光源はモデルの真正面にある。モデルの真正面にいるのは鑑賞者であるわれわれである。光源はわれわれ鑑賞者の視線にあるのだ。

さて一方、マネの《オランピア》が目に見えるのは、ある光が当たっているからだということがお解りでしょう。その光は、優しく慎み深い側面からの光では全くなくて、非常に暴力的に、真正面から照らす光です。……《オランピア》の裸体に向かい合って、それを照らし出しているのはわれわれの視線にほかならない。(フーコー同前)

ティツィアーノのヴィーナスを照らしているのはわれわれではない。われわれが彼女を裸にしたのではない。われわれはたまたま彼女が裸である場に立ち会っただけの関係にすぎない。

ところが、マネのオランピアを照らしているのは、われわれの視線なのだ。われわれの見たいという欲望が、彼女の裸体は出現させるのだ。マネはわれわれと裸体との共犯関係を確立する。この共犯関係が鑑賞者を激怒させることになる。

裸体に責任をもたされることで道徳的スキャンダラスを引き起こしてしまうのだ、とフーコーはいう。

このような絵においては作品を見ることとそれを照らし出すことがひとつの同じことでしかなく、それゆえ、われわれは――すべての鑑賞者は――必然的にその裸体に巻き込まれ、ある程度までそのことに責任を持たされてしまう。このような次第で、ひとつの美学的な変化が、このような場合には、道徳的スキャンダルを引き起こしてしまうということがお解りいただけるでしょう。(フーコー同前)

「必然的にその裸体に巻き込まれ、ある程度までそのことに責任を持たされてしまう」ということは、ブルジョワジーたちにとっては危険な行為であった。しかし、必然的に巻き込まれることを望むものたちもいた。

近代社会ではあらゆるものが恣意的なものになった。神ではなく貨幣が社会を支配したからである。神のもとでは永遠の生が約束されたが、近代社会において永遠の生を保証するものはなくなった。

芸術においても同様の現象が起こり、精緻な絵画はいくらでも描かれたが、それは近代以前の絵画が持つ永遠という時間意識をもつことはできなかった。

そのなかにあって、永遠という時空を描くために格闘しているものたちが、必然的なものに巻き込まれていくことを求めたのである。たとえばゴッホでありセザンヌだった。

永遠という時空を描くためには、恣意的な部分は削ぎ落とさなければならなかった。オブジェクトに、必然的に巻き込まれる必要が、あったのである。

セザンヌも《オランピア》に巻き込まれた一人だった。セザンヌは、印象派の主流から外れ、ひとり南仏で、「絵画的な真実」を描くことに格闘していた。晩年のセザンヌは、友人の息子であるジョワシャン・ガスケに、《オランピア》のレプリカをプレゼントする。

内気で人嫌いなセザンヌは、マネとほんの少ししか付き合わなかった。……しかし《オランピア》にはすっかりほれ込んでいた。ある日私にその大きな写真を彼は持ってきてくれた。
「――ほら、これをどこかに置きなさい、仕事机の前に。これはいつも目のとどくところに置くべきだ……これこそ絵画の新しい状態だ。われわれのルネッサンスはここから始まっている……物の絵画的な真実というものがひとつあるのだ。このばら色とこの白の色は、それを見るまではわれわれの感受性が知らずにいたひとつの道を通ってその真実にわれわれを導いてくれる……あなたは納得しますよ」
(ジョワシャン・ガスケ(與謝野文子訳)『セザンヌ』)

「このばら色とこの白の色」はオランピアの裸体とシーツの色を表わすものだった。それは危険な色ではなく、われわれの時代のルネッサンスとしての印象派が始まる色だったのである。