rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

浮世絵に見る「旅する女性」

日本の女性たちは男性への従属度が低かった。江戸時代もそうだったし、明治の半ばあたりまではそうだった。江戸時代の日本は、どちらかというと母系的な社会だった。

その母系的な家族の在り方が払拭されるのは、日清戦争(1894-95)の頃だ。日清戦争に勝利することによって、日本は西欧列強に伍することになる。そして急速に、西欧列強のような男性中心主義的な社会に変化していくのだ。

明治民法日清戦争終了後に公布(1898)される。その民法では、ナポレオン法典(1804)のように強固な家父長制が謳いあげられる。西欧列強のような男性中心主義社会を確立することにより、日本は西欧列強に伍していくことになるのだ。

日本民俗学を創始した柳田國男は、日本女性が「法外に素直であり忍従であった」という見方は「誤解である」と断言している。

日本の婚姻において、女性が法外に素直であり忍従であったということは、一般の印象かと思われるが誤解である。これは武人という一部の階級に、それも近世に入ってから、やや強調せられていた慣行の名残であって、これを全国の生活を代表するもののごとく、考えたりしたことがそもそものまちがいだった。
(「婚姻の話」ちくま文庫柳田國男全集12』)

文献で遡ると、16世紀の日本でも「女性が法外に素直であり忍従であった」ことはなかったようである。16世紀後半の日本で布教活動(1563-1597)をしたカトリックの宣教師ルイス・フロイスは、日本の女性が両親や夫にことわることもなく、「好きなところへ行く自由をもっている」ことを記している。ヨーロッパではそのような自由が認められていなかったので、わざわざ記しているのである。

ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
……
ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところへ行く自由をもっている。
ルイス・フロイス(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』)

 民俗学者宮本常一は、嫁入り前の娘たちが世間を知るために旅の出るのは当たり前のことだったという。しかも「親には内緒で」行うのである。これはフロイスが記録した「日本では娘たちは両親にことわりもしないで……好きな所へ出かける」ことを裏書きするものだといえるだろう。

 伊勢参宮なども女が仲間をつくってまいることが少なくなかった。これも愛知県三河(みかわ)山中できいた話だが、嫁入りまえの若い娘たちが何かの折りにしめしあわせて伊勢参宮を計画する。親には内緒で、菅笠(すげがさ)や着物や杖(つえ)など準備し、男を一人たのむ。途中で危難にあわぬための用心棒のようなもので、この人を宰領(さいりょう)といった。そして春さきの夕方に突然村を出てゆく。しめしあわせた一定の場所に集まって、そこからいっしょにあるいてゆく。
宮本常一『女の民俗誌』)

このような未婚の娘の旅は、父親は知らないが母親は知っているという母子相伝のものであったようだ。

昔は、若い娘たちはよくにげ出した。父親が何にも知らない間にたいていは母親としめしあわせて、すでに旅へ出ている朋輩をたよって出ていくのである。
宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人』)

母親が知っているということは、父親の知らない「女の世間」が存在していたことを物語るものである。

少しフロイスに戻ってみよう。フロイスによると、夫婦の財産は、「日本では各人が自分の分を所有している」。つまり、夫婦の財布は別々のものだった。沖縄では糸満漁師の家計が夫婦別個のものであったことは有名である。それは糸満固有のものだということではなく、日本古来の家計のあり方を示すものだったのである。

ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。
(『ヨーロッパ文化と日本文化』)

このように財布が別個にあるからこそ、女性には父親や夫の知らない別の世間があったのだといえる。嫁入り前の娘が旅に出なければならなかったのは、世間を知る必要があったからだ。世間を知るというのは、マーケットと顔つなぎをするという意味を含んでいたものだといえる。つまり、女性の市場で営業活動を開始したのである。

浮世絵でも旅する女性の姿は、随所で発見することができる。

今回は広重の『東海道五十三次(1833)』(ボストン美術館収蔵)で、いくつかその姿を拾ってみよう。

次の絵は「川崎 六郷渡し」である。渡し船には、男性一人を供にした女性二人の姿が見える。

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 次は「原 朝乃富士」である。川崎と同じように、男性一人を供にした女性二人の姿が描かれている。男性の担いでいる荷物に、営業用の商品が詰められているのだろう。

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 次は「府中 安倍川」だ。人夫たちに担がれているのは、女性三人と男性一人だ。女性たちが旅に出るときには「男を一人たのむ」と宮本常一が述べているが、その通りの情景だといえる。この絵では、女性たちのキャリアの差が描かれている。籠のまま担がれる者、板の間で担がれる者、直接人夫に肩車される者、キャリアを可視化しているのである。

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 江戸時代の日本では、男性中心主義は儒教的なタテマエにすぎなかった。それがタテマエでなくなるのが、明治民法だといえる。

その男性中心主義的な社会がさまざまな行き詰まりを呈し始めたのが、現代日本社会の姿といえる。旅する女性たちの姿から、ポストモダン(脱近代)の社会をイメージすることができるのではないだろうか。