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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

曾祖母による祈り

曾祖母の住む屋敷は、敷地が200坪ほどあった。我が家はその敷地から50坪ほどを借地して建てられていた。つまり、曾祖母の屋敷のなかに我が家があったのだ。

曾祖母は敷地内で50坪ほどの菜園を持っていた。屋敷内の畑を沖縄の言葉では、アタイグヮーという。アタイというのは屋敷内にある菜園を意味する。グヮーというのは小さいという意味である。それからするとアタイグヮーというのは小菜園ということになる。

アタイグヮーにはいつも小柄な曾祖母の姿があった。我が家の食卓には、このアタイグヮーの野菜で作られた料理が並べられていた。ハレの日でもないかぎりそれが普通の食卓だった。ぼくにとって、野菜は買うものではなかった。曾祖母のアタイグヮーで採れるものが野菜だったのだ。

夏場は毎日のようにゴーヤー(苦瓜)料理だった。ゴーヤーは沖縄の夏の日差しに負けない強い野菜だった。だから曾祖母のアタイグヮーでは夏場はゴーヤーが主役になる。

曾祖母の家の庭先では、フーチバー(よもぎ)や枇杷の木などが植えられていた。いずれも民間療法で使うものだった。鮮明に覚えているのは、フーチバーを絞った濃緑のフーチバー汁だった。それはとても苦い飲み物だった。万病に効くようで、ぼくが頭痛や腹痛を訴えるとき、曾祖母の家でフーチバー汁を飲まされることになっていた。

今の時代から考えると、曾祖母の庭先での薬草もアタイグヮーの野菜も、まるでお伽噺の世界のようだった。日常的な薬も野菜も、そこから摘み取られてくる。

ススキの先端を結んだサンというものを、曾祖母が我が家の四隅に挿すこともあった。悪霊の侵入を防ぐためになされる年中行事だった。子どもの頃は行事の意味するところを理解することはできなかったが、サンが挿されると、我が家の屋敷が少しだけ清々しくなり、神々しくなるような気がした。

旧暦の大晦日の夜には、曾祖母がぼくたちの頭に米粒を数粒載せ、なにごとか聞き取ることのできない祈りを捧げるのだった。頭の上の米粒を意識していると、米粒を通して、なにものかが頭の中に下りてくるような感じがした。

庭先での薬草、アタイグヮーの野菜、ススキのサン、頭に載せられた米粒などの思い出は、ぼくたちの家族が――近代的な経済学とは異なるところで――、曾祖母の庇護を受けていたことを物語るものである。このような家族に対する庇護だけはなく、ぼく個人に対する庇護の話も聞かされている。

ぼくは東江(あがりえ)公民館にある幼稚園に通園していたのだが、入園したての頃は柱にしがみついて泣いてばかりいたらしい。幼稚園では言葉もしゃべることができなかったらしい。曾祖母はそんなぼくを心配して何度も幼稚園に足を運んだというのだ。

このエピソードは両親から聞かされた話だ。ぼくにはそんな記憶はないし、むしろ幼稚園の先生に初恋の淡い気持ちを抱いていたという記憶があるだけだ。だとすると、ぼくは幼稚園という異次元の世界に移行するための危機を、なんらかの方法で乗り越えたということになる。

それがどんな方法なのかは分からないが、曾祖母がぼくの登園を心配して何度も足を運んだということからすると、常に自分を見守る視線があったということになる。そのような視線の存在が、大きなサポートのなったのではないだろうか。

ぼくにとっての宗教的な感覚は、この曾祖母から庇護を受けたという感覚から離れることはできない。曾祖母の祈りがぼくにとっての宗教的な感覚であり、それはキリスト教や仏教、儒教などの制度化された宗教とは異なるものだ。キリスト教における神や仏教における空、儒教における天などのように抽象的なものではなく、自分の頭に載せられた曾祖母の具体的な手のひらの感覚なのである。