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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

《カード遊びをする人たち》

 セザンヌは人間の個別的な顔や感情などがきらいだったんだろなとおもう。二つの『カード遊びをする人たち』を比べてみるとそんな気がしてくる。

同じ構図の絵で、一枚目はロンドンのコートールド・コレクション収蔵の絵(60×70cm)で、1892-95年頃の製作とされるものだ。

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もう一つは、パリのオルセー美術館収蔵の絵(47×56cm)で、1893-96年頃の製作とされる。

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 一枚目の絵を描いてから一年して、同じ構図の絵を描いている。一枚目にはまだかすかに残されていた二人の表情が、二枚目ではしっかりとつぶされていることがわかる。人間はなにものでもないものたちに少しずつ変化していくのだ。

二人の表情が消えていくにしたがって、二人の腕で形作るWの形が少しだけ変化していく。二人の腕が接近する真中あたりの角度がゆるやかになり、腕の重心は少しだけ下にさがる。それにつれて、二人の腕を支えるテーブルの位置も少し下がる。

このようにして重心が少しだけ下がることによって、絵に安定感が増していく。二人は永遠にカード遊びを続けるだろう。それで十分なのだ。

世間の片隅で日常的に行われるありきたりな遊び。セザンヌはその光景を、永遠という時間意識の枠内にくくりつけることに成功したのだ。

そのためには人間の個性は必要なかった。安定した構図が重要だったのである。それは人間から個性や表情をはぎ取ることによって、可能となるものだった。