rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

浮世絵とポストモダン(脱近代)

弟テオへの手紙のなかで、ゴッホ印象派の人たちを「フランスの『日本人』」(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』)と呼んでいる。日本人というのは浮世絵の作者たちのことだ。ゴッホ印象派を浮世絵の後継者としてとらえていたようだ。

自国では衰退したこの日本芸術は、フランスの印象派芸術家たちの間にその根を下している。
これらの日本画は僕にとって技術面で、売買以上に興味があるし必要なのだ。もちろん商売としてもおもしろいさ、ましてやフランスの芸術が動いてゆく方向を考えればなおのことだ。(同前)

ゴッホが浮世絵を収集していた19世紀末期、浮世絵は完全に衰退期を迎えていた。国家の近代化とともに、浮世絵を支えていたある種の文明的な成熟が終焉してしまったのだ。しかし、母国で衰退したとしても、フランスの印象派の人たちが浮世絵を受け継ぐのだとゴッホは考えたのだ。

浮世絵はジャポニスムという趣味的なものにとどまるのではなく、「フランスの芸術が動いてゆく方向」だとゴッホはとらえていた。ゴッホゴーギャンをはじめとする画家たちによる共同生活を夢想し、集団での絵画の共同制作を考えていたのも、浮世絵師たちの共同制作をモデルとしたものだった。

浮世絵は町民たちのものだった。廉価だったので誰でも買うことができた。そして廉価であることに反比例するかのように、芸術的完成度は高かった。ゴッホフランス革命(1789年)から百年後を迎えた市民社会に、浮世絵のように、庶民的でなおかつ芸術的完成度の高い絵画が必要とされると考えていたのだ。

ゴッホが浮世絵と同列に並べたのは、古代ギリシャ絵画(紀元前500年から600年)や17世紀のオランダ絵画だった。

日本の芸術は初期絵画やギリシャのようなもので、昔のオランダの画家たちに似てレンブラント、ポッテール、ハルス、ファン・デル・メール、オスタード、ルイスデール、とおんなじだ。(同前)


古代ギリシャ絵画や17世紀オランダ絵画、浮世絵に共通するのは、それが市民や町民の家庭を飾るものであり、日常生活の一部として存在していたという点にある。

古代ギリシャは、最初の市民社会を作り上げた世界だ。17世紀のオランダは、フランスやイギリスに先駆けて、最初の近代的市民社会を作り出した国だ。18世紀半ばから19世紀半ばにかけての日本は、市民社会とはいえないが町民文化が爛熟を迎えた時期にあたっていた。江戸時代(1603~1867年)は、ある程度の規模を備えた国家としては、265年間戦争をしなかったという世界史にも例を見ないような平和な社会を実現していた。その平和な社会の豊かさを示すように、最後の百年に浮世絵という、――権力者に奉仕するのではなく庶民のために制作される――夢のような芸術様式を作り上げたのだ。

古代ギリシャの絵画は次のようなものだ。皿や壺などに絵が描かれて食器として使用されていた。この壺に描かれた絵は、黒絵式と呼ばれるもので、紀元前620年から480年まで使用された様式だ。

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17世紀のオランダは、絵画の奇跡とも呼べる社会だった。きわめて短期間のうちに、フランス・ハルス(1580-1666)、レンブラント(1606-1669)、フェルメール(1632-1675)、ルイスデール(1628-1682)などの巨匠とされる画家たちが誕生し、無数の芸術家たちが活躍した。しかしその全盛は17世紀の一世紀だけに限られた。

17世紀オランダを代表する絵をあげるのはむつかしいが、とりあえずフランス・ハルスの『ジプシーの少女』(1628-30)をあげておこう。このような健康的で庶民的で、なおかつ神秘的な表情を、産業革命後(18世紀半ば以降)のヨーロッパは描くことができなくなっていた。

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18世紀になると、イギリスやフランス、アメリカ合衆国が、市民社会を作ると同時に国民国家を形成していった。オランダの市民社会は、文字通り都市の住民自治による市民社会であり、中央集権的な国民国家ではなかった。オランダはその点で、後発のイギリスやフランス、アメリカ合衆国などに後れをとることになった。オランダに国民国家が形成される18世紀になるとともに、絵画の巨匠や無数の芸術家たちは霧散し、絵画の黄金時代を再現することはなかった。

浮世絵も代表的な作者や作品を選ぶのはむつかしいが、たまたま目についた歌麿(1753-1806)の『汗を拭く女』(1798)をあげておこう。ハルスの『ジプシーの少女』と同じく、健康的で庶民的で、なおかつ神秘的な表情を見せるのである。

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ゴッホの目指す市民社会は、おそらく江戸町民的な社会を含むような近代社会だったのだろう。その一端を示すように、ゴッホの『アルルのゴッホの寝室』(1889)は、同じ作品を二度反復している。つまり、『アルルのゴッホの寝室』は3点あるのである。おなじことは『ひまわり』でもいえる。やはり同じ作品が三度描かれているのである。なぜ繰り返し描くのかを、ゴッホはテオへの手紙で次のように説明している。

《寝室》の習作を保有して置きたいので、新しい画布を巻いて送ってくれたら、早速描きなおしたい。
……たくさん描いたものの中には、特に強く感じたものや、どうしても保存しておきたいものがある。気に入った絵があると、無意識にそれを「どこの家の、どの部屋の、どの隅に、誰のうちに合うのだろう」と、考えたくなる。
(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 下』)


ゴッホにとっては、飾る場所に応じて、同じ絵が必要になるのだ。それは――「気に入った絵」の複製は――、油絵を描く感覚と浮世絵を刷る感覚との重なる部分で成立する作品なのかもしれない。次の絵は最初に描いた『寝室』だ。

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ゴッホは、生きている間に夢を実現することはむつかしいと感じていたようだ。その代わりにゴッホは、「ギリシャ人や昔のオランダの巨匠たちや日本人」とともに生きていたのだ、といえる。

芸術には時間が必要だ。人間の一生以上に長く生きられたら悪くないね。ギリシャ人や昔のオランダの巨匠たちや日本人が、別の星の中でその輝かしい流派の仕事をつづけていると考えるのは魅力的だ。(同前)