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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

廉価品だった浮世絵

ゴッホの手紙』を読んでいると、気になる部分が出てくる。浮世絵の値段だ。1888年に弟のテオにあてた手紙で、ゴッホは「今のところ版画は一枚三スーで手にはいる」(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』)と書いている。版画というのは浮世絵のことだ。3スーというのは、今の物価でいうと幾らくらいの値段になるのだろうか。

所説はあるが、そのころの1スーは、だいたい現在の50円くらいになるようだ。そうすると浮世絵は一枚3スーで入手できたのだから、一枚150円ということになる。信じられない値段だ。

江戸時代後期の日本では、浮世絵は大きなサイズで400円、手軽に買える小さなサイズは160円で売られていたようだ。値段からもわかるように、浮世絵はそもそもサブカルチャーとして扱われるものだった。

浮世絵の黄金時代は、18世紀半ばの鈴木春信(1725-1770)から始まり、18世紀末から19世紀初頭にかけての喜多川歌麿(1753-1806)、東洲斎写楽(活動期間1794-95)、19世紀半ばにいたるまでの葛飾北斎(1760-1849)、歌川広重(1797-1858)らの活躍した時代の、およそ百年間にわたる。

古い浮世絵は、漆器や陶磁器の“包み紙”に使われていた。ヨーロッパには、この“包み紙”としての浮世絵が伝わった。江戸時代の日本ではキリスト教の布教を防ぐために、ヨーロッパ諸国とは鎖国していた。オランダだけは唯一の例外だった。オランダはキリスト教の布教はしないという条件をのんだからである。そのオランダに輸出する漆器や陶磁器の“包み紙”に古い浮世絵が使われていたのである。

オランダでもその“包み紙”への関心は高かったようだが、19世紀の半ばにフランスで、その“包み紙”への関心が熱狂的に高まることになる。1856年フランスの画家ブラックモンが陶器の“包み紙”であった『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで印象派に大きな影響を与えた。それからフランスで熱狂的な浮世絵の収集が始まることになった。『北斎漫画』は1814年から始まり、北斎没後の1878年まで全15編が編まれたものである。次の絵は、『北斎漫画』中の「風」。

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1870年代にフランスの美術界はジャポニスムに染まり、1876年には"japonisme"という単語がフランスの辞書に登場することになる。

ところが日本では浮世絵が価値ある美術品であると意識すらされなかった。そのため、明治時代以降に大量の浮世絵が欧米に流出することになる。欧米の一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外の個人コレクションも含めると、どれくらいの浮世絵が流出しているのかはわからない。

フランスをジャポニスムに染め上げた浮世絵の代表は、次のような作品である。北斎の連作『富嶽三十六景』(1831年)の一つで『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)だ。

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ゴッホの手紙では、この作品についての弟テオの言葉が記されている。

批評家のポール・マンツは、われわれもシャン・ゼリゼでみたあの展覧会で、ドラクロアの烈しい熱狂的な習作《キリストの小舟》を見て、「青と緑とでこれほど恐ろしい絵にすることができるとは知らなかった」と叫びながら踵を返したと書いている。
君は北斎を見て、「この波は爪だ、船がその爪に捕えられているのを感じる」と手紙に書いていたが、北斎もまた君におなじ叫びをあげさせたわけだ。もちろん、北斎はその線と素描とによってだがね。
(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』)


テオはこの波を人間たちに襲い掛かる爪に見立てたのだ。波を爪に見立てることによって、船にしがみつく人間たちの卑小さと、大自然に逆らうのではなく従順にしたがうことが人生であるとテオは感じているのだろうとおもわれる。

ドラクロアは色彩によって、荒れ狂う海という恐怖感を表現した。それに対してゴッホは、北斎は線と素描によってテオに同じ恐怖感を体験させたのだと言ったのだ。

ドラクロアの習作《キリストの小舟》(1853年)は次の絵だ。

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ゴッホは、印象派の尊敬を一身に浴びたロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)と北斎を、同列に並べたのである。(続く)