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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

堪能した青年エイサーの道ジュネー――2015年

今年の青年エイサーの道ジュネーの観察記です。

8月26日(旧暦7月13日)のウンケー(お迎え)の夜は、宜野湾市宜野湾区と長田区の青年エイサーを見に行く。新聞の折り込みチラシによると、長田交差点を挟んで、宜野湾区と長田区の道ジュネーの最終演舞があるようだ。宜野湾区は午後11時半に、長田区は午後11時55分に最後の道ジュネーが予定されている。うまくいくと、時間をずらして両方のエイサーを見られるかもしれない。

ちょっと早めに長田交差点で待機するが、宜野湾区エイサーが出てくる気配はない。夜に雨が降ったのでスケジュールに変更が出たかもしれない。待っている間に我如古(がねこ)区のエイサーに出会えないかと、我如古交差点の近くまで歩くが、偶然の出合いはない。

長田区エイサーは予定の時間通りに現場に到着する。長田区エイサーの舞台は駐車場だ。すでに邪魔になる車は移動され、四隅を道路工事に使用されるライトで煌々と照らしている。長田区は男女25名程度。締め太鼓型のエイサー。長田区の初々しいエイサーを眺めながら、静かな気持ちでエイサー・シーズンの幕開けを堪能する。

長田のエイサーについては、2年前に次のようなエッセイを書いたことがある。

2013年7月26日

昨晩、ウオーキングの帰りに長田区公民館により、エイサーの練習を見てきました。平日なので参加者は女性3人、男性10人くらい。それでも本番(旧暦7月13~15日)前一ヶ月を切っている(旧暦6月18日)ので、仕上げの段階に入りつつあるようでした。

長田区エイサーの特徴は、明治大正期に創作された雑(ぞう)踊りが多いことと、女性だけの踊りのパートがあることで、割と新しい時代にできたのではないかと思われる、若々しさと都市的なおしゃれな感じがするエイサーです。

女性二人が踊っていて、先輩らしい女性がその二人の踊りを指導していました。これがすごく良かったのですね。軽やかな振りの大きな舞い、そこだけ異次元の風が吹き、大きく舞う二人の舞いに合わせて、空気が切り取られていくようです。すっかり魅入ってしまいました。

この感じは既視感があります。子どものとき見ていた青年会のお姉さんたちの舞いですね。大人になったらあんな風に踊るのだという、お姉さんたちに憧れとエロスを感じながら、見ていた踊りです。

その踊りに魅入られていた僕は、もうすでに初老に入るような年齢ですが、子どものときの自分に戻り、憧れのお姉さんたちを見ているようでした。浦島太郎のような不思議な感覚です。

公民館での芸能を見ると、いつでも子ども時代の自分に戻ってしまいます。その輪の中に入って、果たすべき通過儀礼を受けなかったせいでしょうか。お姉さんたちの舞いに、心地よいものを感じて、いつまでもたっても見飽きない自分がいます。



写真はJ-TRIP Smart Magazine Writer : 中本岩郎氏撮影による長田区のエイサー練習風景

8月27日(旧暦7月14日)のナカヌヒー(中の日)は、沖縄市園田(そんだ)、山内、北谷町栄口(えぐち)、謝苅(じゃーがる)のエイサーを堪能する。栄口の地謡(じかた)の早弾きが、並みのテクニックではないので、弾き手の確認に行く。そこには新進(すでに中堅か?)の民謡歌手「よなは徹」がいた。

栄口では、中高年の女性が一人でチョンダラー(道化)をして、エイサーをリードしていた。それがベテランの民謡歌手・島袋艶子さんであることがわかった。島袋艶子さんは、四人姉妹による民謡グループ「でいご娘」の長女であり、栄口区の自治会長でもあった。その彼女が、通常複数の青年たちがやるチョンダラーの役を、一人でこなしていたのだ。彼女の道化によって、青年男女の踊りが大きくなっていく。

8月28日(旧暦7月15日)のウークイ(お送り)の夜は、思いがけず今帰仁村運天の手踊り型エイサーを見ることができた。手踊り型は歌と踊りが中心になるエイサーだ。運天は高齢者が多く、集落も分散している。青年たちはトラックに乗って、分散している各集落のアジマー(四つ辻)に来訪してエイサーを踊る。太鼓一つに単純な振りを繰り返す、飛び入り可能な参加型エイサーだ。素朴な型が残っていた。

運天からの帰りに、名護市世冨慶(よふけ)に寄り、手踊り型エイサーを堪能する。手踊り型エイサーは、沖縄芸能の源泉であるモー(原)アシビを見るようだ。青年男女の歌垣を堪能することができた。

やんばるの手踊り型エイサー地帯から沖縄市の太鼓型エイサー地帯へと移動する。中の町青年会と園田青年会のエイサーに出会う。中の町青年会のエイサーは、1980年代に一度途絶えたものだが、2010年に復活を遂げている。2010年の復活の年に拝見して感動したのを覚えている。もはや中断の痕をとどめていない。

9月12日(土)に「第19回宜野湾市青年エイサー祭り」を見に行く。見ることができたのは、野嵩(のだけ)三区青年会、北中城村熱田(あった)青年会、宜野湾区青年会、普天間一区青年会のエイサーだ。

宜野湾区エイサーは――道ジュネーでその一部は見ているが――、ちゃんと見たことのなかったエイサーだった。宜野湾区エイサーはパーランクー型エイサーだ。うるま市赤野区のエイサー――1967年の全島エイサー・コンクールで優勝して一世を風靡した――を採り入れたものだった。宜野湾区エイサーの地謡には聞き惚れてしまった。

宜野湾市青年エイサー祭りのフィナーレはイベント定番のカチャーシー。各青年会の地謡が舞台で共演する。女性の地謡が二人いた。男性とは弾き方が違う。指が弾けるような、跳ねるような弾き方で、指が三線の棹の上で踊っているのだ。エイサーも新しい時代を迎えつつあることがわかった。

9月17日(木)午後7時から八重瀬町本庁舎会議室で、八重瀬町青年連合会(伊福正二郎会長)の主催による講演会、「エイサーの生成と青年エイサーの魅力」に、沖縄の地域研究をしているパートナーとともに講演する。青年連合会副会長の下門紀久氏からの依頼によるもの。八重瀬町は青年エイサーをやっている五つの青年会が連合会をつくっており、エイサー青年たちへの講演。

八重瀬町は、東風平(こちんだ)、富盛(ともり)、新城(あらぐすく)、具志頭(ぐしちゃん)、安里(あさと)という五つの青年会でエイサーが盛んだ。50人ほどの現役のエイサー青年男女を前に、各地のエイサーの映像を交えながら2時間ほど講演をする。

下門副会長は安里の青年会長だが、安里では今年から古形のエイサーを復活させたという話をしてくれた。エイサーは沖縄本島の中北部で発展を遂げた芸能で、エイサーの祖形の発祥地である本家本元の旧首里・旧那覇にはエイサーの祖形は痕跡程度も残っておらず、農村部である南部に念仏系の古形のエイサーの記録が残されている。古形のエイサーは八重瀬町字安里を含めて二三あるという。しかしいずれも文献で見るような生々しい本格的な形では残されていない。

下門副会長(=安里青年会長)によると、古形のエイサーを復活させると、80歳代くらいの高齢者たちが喜んで参加してくれたということだ。保存にとどまるのではなく、古形のエイサーを復活させるとなると、おそらく安里は、生に近い形の古形のエイサーを演じる唯一の地域になるのではないだろうか。エイサー・ファンにとっては必見の価値あるエイサーの復活であり、たまらない話である。

10月11日(日)には、八重瀬町東風平運動公園陸上競技場で、「第9回八重瀬町青年エイサー祭り」が催されるようだ。それを見て、今年のエイサーの見納めをするのかもしれない。