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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

ゴッホ作『洗濯婦のいるアルルの吊橋』

1888年2月20日に、南フランスのアルルに引っ越したゴッホ(当時35歳)は、3月に送ったエミール・ベルナール(15歳年下の画家)への手紙で、『アルルの跳ね橋』の構想を次のように述べている。

この手紙のはじめに、僕が今ものにしようと取り掛かっている習作の小さな見取図をいれておいた。大きな黄色い太陽が妙な格好の吊橋の側面を浮彫にしたところを、水夫達が恋人を連れて町の方へと登って行くんだ。同じ吊橋とひとかたまりの洗濯婦を描いたもう一枚の習作もある。
(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 上』)


手紙のものとは違うが、ゴッホの描いたデッサンは次のようなものだ。右側に洗濯ものが干されていることがわかる。

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ところが3月中にゴッホが作品として仕上げたのは、橋に向かう恋人たちを描いたものではなく、洗濯婦たちを描いたものだった。

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 『洗濯婦のいるアルルの吊橋』(1888年3月、クレラ-・ミュラー国立美術館蔵)。

ゴッホが手紙の中で触れた「もう一枚の習作」に向かってくれたおかげで、ぼくたちは洗濯婦の水面に立てる波模様を、飽かずに眺めていることができる。こういう大人たちの働く姿を、ちっちゃい子どもが飽かずに眺めていたように。

この洗濯婦たちとの対比の中で、アルルの吊橋は永遠の存在になる。