rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

だんくもーいーー世冨慶(よふけ)の手踊りエイサー

沖縄市を中心にした太鼓型エイサーは、1950年代から60年代にかけて発達したもので、それ以前のエイサーは、そのほとんどが(太鼓が踊ることなく伴奏楽器であった)手踊り型だったとされる。手踊り型では、太鼓の響きよりも、踊り手たちの歌の返しが重要な要素を占める。「踊り手が歌うエイサー」なのである。


この手踊り型エイサーでは、ストレートに男女の恋愛感情を表現するものと、密やかな恋愛感情を表現するものとの二通りがあった。
名護市世冨慶(よふけ)のエイサーは後者の型に属するエイサーであると言える。


写真は男女2人で踊る打組踊。打組踊は雑(ぞう)踊り〔※王朝古典芸能に対しての雑ということで、近代に爆発的に発達した民衆的な踊り。琉球芸能を代表する踊りは、そのほとんどが雑踊りで占められている〕で人気を博した踊り方の一つ。

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おそらくこれが、明治時代あたりに人気を博したという、「だんくもーい」と呼ばれた踊り方なのかなとおもう。「もーい」は舞いの意。「だんく」は「談合」の意だが、入札などの際の談合ではなく、男女のひそやかな語りあいやしめし合わせのことを意味する。


民謡「だんく節」の歌詞には、「だんくぶしならゆんでぃ なぐあがりかゆてぃ かゆてぃみじらさや だんくよーだんく」(ダンク節を習おうと、名護の東江(あがりえ)に通って、通って面白い、ひそかな語りあいよ)というのがある。


東江はぼくのウマレジマである。世冨慶はその隣のシマである。そのため世冨慶のエイサーを見ると、胸のどこかがキュッとなってしまう。


世冨慶の地謡(じかた)に女性が一人加わっていたが、彼女は男性陣と同じ歌を歌うのではなく、男性たちの歌に反し歌をしていたのである。つまりモーアシビがそこで演じられていたのである。