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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

贈与論ーー全体的給付体系と非市場社会

モースは、近代以前の社会では、個人間の経済的な取引きは成立することはなかったと指摘している。つまり、需要供給の原則に基づく市場というものは存在しなかったのだと指摘しているのである。

それではどのようにして人々は、物の交換をしていたのだろうか。交換は需要供給を満たすためにされたのではなかった。祭りや出産祝い、結婚祝いなどという、二つ以上の親族集団やコミュニティが一時的に融合し、友好関係が結ばれるときに、そのお祭り騒ぎの一部をなすものとして、物の交換がなされたのである。つまり、経済がそれ自体として単独で成立することはなかった。モースはそのような経済体系を、「全体的給付体系」と名づけた。経済行為がコミュニティの人間関係の維持することから分離することのなかった経済体系、つまりコミュニティの中に織り込まれていた経済体系を、「全体的給付体系」と名づけたのである。

現代に先行する時代の経済や法において、取引による財、富、生産物のいわば単純な交換が、個人相互の間で行われたことは一度もない。第一に、交換し契約を交わす義務を相互に負うのは、個人ではなく集団である。契約に立ち会うのは、クラン(氏族)、部族、家族といった法的集団である。ある時は集団で同じ場所に向かい合い、ある時は両方の長を仲介に立て、またある時は同時にこれら二つのやり方で互いに衝突し対立する。さらに、彼らが交換するものは、専ら財産や富、動産や不動産といった経済的に役に立つ物だけではない。それは何よりもまず礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市(いち)であり、経済的取引は一つの項目に過ぎない。そこでの富の流通は、いっそう一般的で極めて永続的な契約の一部に過ぎない。最後に付け加えたいのは、このような給付と反対給付は、進物や贈り物によってどちらかといえば任意な形で行われるが、実際にはまさに義務的な性格のものであり、これが実施されない場合、私的あるいは公的な戦いがもたらされるようなものであるということである。われわれは、これらのすべてを「全体的給付体系」と呼ぶことを提案した。
(吉田禎吾他訳『贈与論』)

モースが挙げる「全体的給付体系」の特徴は、次のようなものである。
①第一に、交換し契約を交わす義務を相互に負うのは、個人ではなく集団である。
②彼らが交換するものは、……何よりもまず礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市(いち)であり、経済的取引は一つの項目に過ぎない。
③給付と反対給付は、進物や贈り物によってどちらかといえば任意な形で行われるが、実際にはまさに義務的な性格のものであり、これが実施されない場合、私的あるいは公的な戦いがもたらされるようなものである

モースが指摘していることは、人間は経済的合理性のために交換を行うのではなく、人間関係を結びつけるために交換を行うのであり、もし交換がなされない場合には、戦闘状態に陥るということである。

モースの提唱する「全体的給付体系」を経済学の分野で追求したのが、ハンガリー生まれで第二次世界大戦後にはアメリカ合衆国で活躍した経済人類学者カール・ポランニー(1886-1964)である。ポランニーは、市場経済は歴史的に新しい時代に属するもので、偶然の産物として生まれたものだと指摘した。

現代社会は市場で商品の価値が決定されることになっている。ところがそのような経済システムは比較的新しい形態であり、現代社会以前には、市場が経済システムを動かす時代はなかったとポランニーはいう。

経済システムと市場を別々に概観してみると、市場が経済生活の単なる付属物以上のものであった時代は現代以前には存在しなかった、ということがわかる。原則として、経済システムは社会システムのなかに吸収されていた。
(玉野井芳郎訳「自己調整的市場と擬制商品――労働、土地、貨幣(1944年)」)


つまり、現代社会以前の社会において、市場は経済生活の単なる付属物にすぎない存在であり、「経済システムは社会システムのなかに吸収されていた」とポランニーは主張するのである。

1960年代までの沖縄の市場(いちば)には、多少そのような雰囲気が残されていた。定価販売はなく、売り手と買い手の価格交渉は駆け引きに継ぐ駆け引きであり、実際の儲けがどこらへんから算出されるのかは秘密のベールに包まれたものだった。売買で必要とされるのは演劇性であり、演劇能力の高さであった。

定価で販売せざるを得ない時には、売った商品の他にシーブン(添え分)というものが客に手渡された。このシーブンの意味するところは、相手の買った以上のものを与えるということにあった。売買の中に贈与が加味されるのである。

客は見知らぬ他者の店で買うことは少なく、同郷出身者か親族の経営する店で買うのが普通だった。そこでは売買のほかに、同郷や親族の者がどこでどう暮らしているのかを情報交換する場でもあったし、どちらかというと情報交換に費やされる時間の方が売買に費やされる時間よりも長かった。「経済システムは社会システムのなかに吸収されていた」のである。

それならば、市場経済とよばれる経済システムは、どのようにして成立していったのだろうか。ポランニーは、本来商品ではなかった労働、土地、貨幣が商品化されることによって、市場経済が社会システムを飲み込んでいってしまうと指摘する。

決定的なのはつぎの点である。すなわち、労働、土地、貨幣は、産業の基本的な要因であること、しかも、これらの要因もまた市場に組みこまれなければならないことである。事実、これらの市場は経済システムの絶対的に重要な部分を形成する。ところが、労働、土地、貨幣が、本来商品ではないことは明白である。売買されるものは、すべて販売のために生産されたものでなければならないという公準は、これら三つの要因については絶対に妥当しないのである。つまり、商品の経験的定義によれば、これらは商品ではないのである。 第一に、労働は、生活それ自体に伴う人間活動の別名であり、その性質上、販売のために生産されるものではなく、まったく別の理由のために、作り出されるものである。また、その人間活動も、それを生活のその他の部分から切り離して、それだけを貯えたり、流動させたりすることはできないものである。つぎに、土地は自然の別名でしかなく、人間によって生産されるものではない。最後に、現実の貨幣は、購買力を示す代用ものにすぎない。原則としてそれは生産されるものではなくて、金融または国家財政のメカニズムをとおして出てくるものなのである。労働、土地、貨幣は、いずれも販売のために生産されるのではなく、これらを商品視するのは、まったくの擬制(フィクション)なのである。(前掲書)

労働、土地、貨幣がなぜ商品視されるようになったのか?それは「飢餓に対する労働者の恐怖と、利潤に対する雇用者の渇望」によるものだとポランニーはいう。労働者にとっての「生活必需品欠乏の恐怖」と資本家にとっての「利潤の期待」が「経済領域」を誕生させる。

それゆえ、市場経済が新しいタイプの社会を作り出したのである。そこでの経済システム、あるいは生産システムは自動装置にまかされることになった。人間は自然資源についてのみならず、その日常活動においても、制度的メカニズムに支配されるようになった。物質的福祉をもたらすこの道具を制御するのは、飢えと利得の誘因――より正確には、生活必需品欠乏の恐怖と利潤の期待――だけであった。まず市場で自分の労働を売らないことには食物の欲求を満たせない無産者がいるかぎり、また、市場で最安値に買いたたき、最高値に売りつける自由が有産者にあるかぎり、人類のためと称する商品が、無目的な工場から続々と生産されつづけるであろう。飢餓に対する労働者の恐怖と、利潤に対する雇用者の渇望が、巨大な機構を動かし続けるのである。
(平野健一郎訳「時代遅れの市場経済」1947年)


常に飢餓に対する恐怖が語られる一方で、企業はあくなき利潤を求めて、人間や自然などのあらゆるものを商品視していくことになる。飢餓に対する恐怖心を煽ることとあくなき利潤追求という二面性が市場経済と呼ばれるものの正体であるとポランニーは指摘するのである。この恐怖と欲望に追い立てられて、労働、土地、貨幣が商品視されるようになっていく。

飢餓に対する恐怖を抱きつつ、一方では利潤追求する者が、経済的人間だとされる。そして経済的人間でない場合には、理想主義者のレッテルが貼られることになる。

いくら抗議しても、私が「理想主義者」とみなされることを防ぐことのできないことは、私にもわかっている。なぜなら、「物質的な」動機の重要さをけなす者は「観念的な」動機の力にたよっているにちがいない、とされるからである。しかし、これほどひどい誤解はない。飢えと利得は、とくに「物質的」だというわけではけっしてない。他方、誇りや栄誉や権力が、飢えと利得よりも「高級な」動機というわけでは必ずしもない。
(前掲書)


人間は「飢えと利得」に駆られてのみ生活しているわけではない。同じように、「誇りや栄誉や権力」欲に駆られて生活する者でもある。その意味で理想主義者でない者はいないといってもよい。

ここで思い返す必要があるのは、誇りや栄誉や権力に対する欲望こそが、贈与交換を推進する原動力だったということである。ポランニーは、労働、土地、貨幣の商品視という市場経済が、社会を滅亡させるだろうと指摘する。

文化的制度という保護の覆いを奪われれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、滅びてしまうであろう。人間は、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの形で、激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するであろう。自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観はダメにされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食糧、原料を産み出す力は破壊されるであろう。最終的には、購買力の市場管理が企業を周期的に倒産させることになるであろう。というのは、企業にとって貨幣の払底と過剰が、原始社会にとっての洪水や旱魃と同じくらいの災難になるであろうからである。
(「自己調整的市場と擬制商品――労働、土地、貨幣」)


その一方でポランニーは、「技術的には効率が落ちることになっても、生の充足を個人に取りもどさせる」必要があることを主張する。

私が願うのは、生産者としての毎日の活動において人間を導くべき、あの動機の統一性を回復することであり、経済システムを再び社会のなかに吸収することであり、われわれの生活様式を産業的な環境に創造的に適応させることである。
これらの点のすべてについて、自由放任思想と、その系である市場社会は失敗した。人間のかけがえのない統一性を、物質的な価値を志向する「現実的な」人間と、よりよい「理想的な」人間とに分断してしまった責任は、自由放任思想にある。自由放任思想はまた、経済的決定論の偏見を多少とも無意識のうちに助長し、われわれの社会的想像力を麻痺させている。……今日われわれが直面しているのは、技術的には効率が落ちることになっても、生の充足を個人に取りもどさせるというきわめて重大な任務である。
(「時代遅れの市場経済」)


モースの『贈与論(1925)』は第一次世界大戦に対応するものだと見てよいだろう。同じような意味で、1944年と47年に発表されたポランニーの二つの論文(玉野井芳郎他編訳『経済の文明史』所収)は第二次世界大戦の体験とその反省を踏まえてのものだといえるだろう。ポランニーの視点は、愚かな第三次世界大戦を招かないためにも必要とされるものだといえるだろう。

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