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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

社会的父――イザベラ・バードの『日本奥地紀行』より

6月7日にアップした『贈与論――社会的父』で、マリノフスキから引用して育児に専念するトロブリアンド諸島の父親たちの姿を紹介した。イザベラ・バード(1831-1904)の『日本奥地紀行(1885)』を読んでいると、それに良く似た育児風景が日本にもあったことがわかる。

 

バードは、1878(明治11)年6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。その旅行記が『日本奥地紀行』だ。

 

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バードは、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」という。日本人は子どもの世話をするのが大好きだったのだ。

 

子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。
(高梨健吉訳『日本奥地紀行』)

 

文化人類学者の原ひろ子によると、カナダ極北部に住むヘヤー・インディアンの社会では、育児は楽しいことの範疇に含まれていた。

 

女にとっても、そして男にとっては、子どもの世話は、「遊び」ないしは「遊び」同様に「楽しいこと」なのである。(『ヘヤー・インディアンとその世界』1989年)

 

そのヘヤー・インディアンの社会と同様に、日本の社会においても、子どもの世話は楽しいことの一つだったのである。

 

父も母も、自分の子に誇りをもっている。見て非常におもしろいのは、毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。その様子から判断すると、この朝の集会では、子どものことが主要な話題となっているらしい。夜になり、家を閉めてから、引き戸をかくしている縄や籐の長い暖簾の間から見えるのは、一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけてない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊の上に寄せている姿である。母親は、しばしば肩から着物を落とした姿で、着物をつけていない二人の子どもを両腕に抱いている。いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。
(高梨健吉訳『日本奥地紀行』)

 

朝は仕事前に隣近所や仲間たちに子どもを見せびらかし、夜は赤ん坊を優しい顔をして寝かしつける。仕事の時以外には、子どもの世話にかかりっきりだった日本の男性たちの姿が浮き彫りにされてくる。

 

次のグラフは内閣府の「少子化社会対策白書(旧少子化社会白書)」によるもので、一日当たりの6歳未満児をもつ夫の家事・育児時間を欧米諸国と比較したものである(2014年時点の最新データ)。

 

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バードの観察した1878年と比べると、2014年の日本の父親たちの姿はまるで別人にように変化しているといえる。特にバードの出身地のイギリスと比較すると、育児における父親の立場が逆転していることがわかる。一日当たりの父親の家事・育児時間は、イギリスの2時間46分に比べ、日本は1時間7分と半分以下の数値である。

 

なぜこのような逆転現象が生じてしまったのだろうか。それは日本社会の近代化によるものだといえる。日本社会が本格的に近代化を達成し、「日本人」という国民意識が一般化するのは、日清戦争(1894~95=明治27~28年)、日露戦争(1904~05=明治37~38年)という二つの対外戦争の勝利によるところが大きい。その二つの対外戦争によって国民意識が高まっていくのと同時に、軍人という武力集団が社会の男性モデルを形成していくことになる。

 

この二つの対外戦争の勝利という戦間期に、日本における家父長制度を確立させる明治民法が公布(1898=明治31年)される。明治民法によって財産や祖先祭祀の継承権が父系嫡男優先に定められることになる。つまり、日本社会が男性支配原理の強い社会へと変貌を遂げていくのである。

 

欧米は男性支配原理を強化することによって近代化をなし遂げていた。たとえば近代民法典の基になるフランス民法典(1804年制定)では、妻の夫への従属化が義務づけられ、妻自身のプライバシーや財産に関することも、すべて夫の決定にゆだねることになった。法的な夫の支配のもとで女性を家庭に囲い込むことによって、欧米社会の近代化はなし遂げられた。日本は明治民法でその後追いをしたのである。

 

その結果、日本社会の男性像が大きく変化していくことになる。バードの観察した父親たちの姿は日本社会から急速に影をひそめていって、社会的父の役割は、戦争に行くことと労働者になって家計を支えることに限定されていくのである。

 

欧米社会の後追いをして近代化をなし遂げた日本社会は、明治民法の公布以来ほぼ百年を経て、ヴィクトリア朝時代(1837-1901)の欧米社会に似たような社会を形成することに成功したといえる。男性の家事・育児への参加では、再び欧米社会の後追いが要請されている。

 

しかし、この分野に関しては、江戸時代や明治時代初期の日本社会の精神を取り戻すだけで十分であり、欧米社会の後追いをする必要はないといえる。無かったものではなく、在ったものを取り戻すだけだからである。そのことに成功すると、日本社会は欧米社会の後追いではなく、脱近代化社会のモデルとなりうるであろう。

 

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