rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

贈与論――ポトラッチ

モースの『贈与論(1925)』は、ポトラッチpotlatchを基点にして展開されている。ポトラッチというのは、莫大な富や食物の贈与が行われることで知られる北アメリカ北西沿岸インディアン諸族の儀式のことをいう。

北西沿岸インディアンというのは、次の地図に示されているように、アラスカの東南部からシアトル市までの沿岸に住むインディアン諸族のことをいう。主な部族としては、トリンギット族、ハイダ族、ツィムシァン族、クワキウトル族、ヌートカ族、沿岸セイリッシュ族などがある。

f:id:rapanse:20150906164502j:plain

北西沿岸地域は、鮭が地域の河川を遡行し、野生の漿果(ベリー)類はきわめて豊富であった。そのため狩猟も農耕も必要のない暮しであった。自然の生態系を乱さなければ、自然からの贈り物としての富は、尽きることがなかった。モースは「ヨーロッパの基準からしても、彼らはかなりの余剰物資を得ている」ことを指摘している。

これらの部族は、狩猟よりも、海や川で漁労によって生活しているが、メラネシア人やポリネシア人と異なり、農耕を営まない。彼らは非常に裕福である。今日でも漁場、猟場に恵まれ、毛皮を獲得している。ヨーロッパの基準からしても、彼らはかなりの余剰物資を得ている。
(吉田禎吾・江川純一訳『贈与論』)


漁労が生活の中心をなすのであるが、その漁労は、次のようなものだった。写真のタイトルは「ヌートカ族の槍の技法」(1915年)である。網とか釣り糸ではなく、槍で魚介類を仕留めているのだ。

f:id:rapanse:20150906164634j:plain

写真はエドワード・S・カーティス(1868-1952)によるものだ。カーティスは1896年から1930年にかけて、ミシシッピー河西部からアラスカにかけて、北アメリカのほぼ全域を踏破しながら、消滅の危機を迎えていたインディアンの文化を写真に撮り、記録に残そうとした。カーティスの情熱により、インディアンの文化に関する四万枚ものネガが残されることになった。

ところで、カーティスの記録した北西沿岸インディアン諸族の漁労の写真を見ても、網を使っている様子が見られないのだ。男性たちは槍を使って漁労を行い、女性たちは籠を背負って潮干狩りや果実摘みをしている。次の写真のスケッチのような簗(やな)を使ったようだが、額に汗して労働する姿を写真で見ることはない。

f:id:rapanse:20150906164748j:plain

北西沿岸インディアン諸族は漁労や採集を中心とする文化であったが、通常の狩猟採集文化にみられるような、移動式のテント生活ではなかった。夏のあいだ、一時的にキャンプ地に移動することはあったが、海辺沿いに大きな家が立ち並ぶ彼らの冬の村は、ほとんど定住型村落の様相を呈していた。彼らの工芸品のレベルの高さを、モースは次のように記述する。

さらに彼らは、すべてのアメリカ先住民の中で最も頑丈な家屋を建てており、ヒマラヤ杉の極めて発達した製材を行う。彼らが作るカヌーも優れており、遠洋まで漕ぎ出ることはないにしても、島々を巡り、海岸づたいに自由に航行するすべを知っている。彼らが物を制作する技術は高度なものである。18世紀に鉄が渡来する以前においても、彼らはチムシアン族やトリンギット族の地域に産出する天然の銅を採取し、溶解し、鋳造して、これに刻印を施した。こうした銅の一部紋章が描かれた楯の形にされ、一種の貨幣としても用いられた。もう一つの種類の貨幣はチルカット(Chilkat)と言われる美しい毛布である。これは見事に飾られたもので、今日でも装飾として用いられている。(前掲書)

 

家の大きさは次の写真(1914年)で確認できるだろう。クワキウトル族の家で、大きな図案が家の壁にかけられている。写真中央の男性の身長と比べると、家の大きさが見当つくだろう。


f:id:rapanse:20150906164843j:plain

クワキウトル族のカヌーは次のようなものだ(1914年)。

f:id:rapanse:20150906165008j:plain

銅はコッパーと呼ばれる。写真はクワキウトル族を写したものだ(1914年)。

f:id:rapanse:20150906165042j:plain

チルカットはこれだ。写真はハイダ族のチルカットで、礼服である(1915年)。

f:id:rapanse:20150906165115j:plain

北西沿岸インディアン諸族の生活は、夏と冬で異なる。夏は分散して暮らし、いろいろなものを収穫する。そして冬には集合して暮らし、宴会を繰り返す。その宴会の席で、夏のあいだに貯めていた収穫物を、すべて消費するのである。

彼らの冬季の生活は、最南端の部族においても、夏季の生活と極めて異なっている。季節により部族の生活は二つの形態に分れている。春の終りごろから彼らは分散して狩猟、木の根の採取、山での漿果の採取、川でのサケの捕獲に出かける。ところが冬になると、彼らは「町」と称する集落に集まる。皆で集まって暮らすこの時期には、彼らは常に興奮した状態にあり、夏季に行われる部族の集会に比べて、社会生活ははるかに活発なものになる。部族と部族全体、クランとクラン、家族と家族とが絶え間なく訪問し合う。また繰り返し祭りを催し、祭り自体が相当長期にわたることも多い。結婚の時や、種々の儀礼の時、昇進の時などの場合に、彼らは、夏から秋にかけて、世界中で最も豊かな収穫をもたらす海岸の一つで獲得した獲物をことごとく消費する。これは家族生活さえ同様である。アザラシを仕留めた時、貯蔵した漿果や球根の樽をあける時には同じクランの人々を招待する。鯨が海岸に漂着したような時には人々すべてを招く。(前掲書)


クラン(clan)というのは氏族――共通の祖先を持つ血縁集団、または、共通の祖先を持つという意識・信仰による連帯感の下に結束した血縁集団のことをいう。位牌継承慣行などのように、成員が互いの系譜関係、あるいは共通祖先との系譜関係を把握している集団は、クランとは呼ばず、リニージ(lineage)と呼ばれる。リニージとクランの区分は、歴史的共通先祖ではなく、伝説上・神話上の共通祖先を持っているという意識・信仰があるかどうかで区分される。クランの場合は、系譜関係がはっきりしている必要はない。

北西沿岸インディアン諸族のクランは、トーテムで示される。巨大なトーテム・ポールが彼らの文化の特徴の一つである。写真はクワキウトル族のトーテム・ポールだ(1914年)。

f:id:rapanse:20150906165223j:plain

昇進というのは、男性結社や女性結社での位階と昇進のことをいう。結婚や昇進のとき、「彼らは、夏から秋にかけて、世界中で最も豊かな収穫をもたらす海岸の一つで獲得した獲物をことごとく消費する」。そして消費するだけではない、分かち合いをするのである。

アザラシを仕留めたときや貯蔵したものの樽をあけるときには、同じクランの人々を招待し、クジラの漂着のような大事件になると、すべての人々を招待して、分かち合うのである。

このような冬季の宴会がポトラッチと呼ばれるものである。ポトラッチには仮面舞踊がつきものであった。クワキウトル族の結婚式に関する一連の写真(1914年)を見てみよう。1枚目の写真は新婦がカヌーで到着したところである。2枚目は花嫁側の親族である。3枚目は結婚式に招待された仮面ダンサーたちがカヌーで式場に乗り込むところである。4枚目は、勢ぞろいした仮面のダンサーたち。この仮面のダンサーたちによって、主催者の集団に伝わる神話などが演じられることになる。

f:id:rapanse:20150906165346j:plain

f:id:rapanse:20150906165413j:plain

f:id:rapanse:20150906165444j:plain

f:id:rapanse:20150906165507j:plain

そしてポトラッチは、いったん開始されると、贈与と返礼の激しい戦闘が繰り返されることになる。贈与に対しては、それを上回る返礼がなされなければならない。それは「財産の戦い」であり、「富の戦い」であった。実際の戦闘と同じように、返礼によって相手の贈与を上回ることがなければ面子を失い、社会的地位の低下を招くこととなった。これは近代以前の社会ならたいていの社会がそのような方式を取っていた。たいていの社会は権力によって支配したのではなく、相手が返礼できないほどの贈り物を与え続けることによって、権力者としての地位を守り抜いたのだ。

北西沿岸インディアン諸族では、たとえば首長に就任するなど絶対に勝つ必要があるときには、相手が返礼できない方法を取らなければならなかった。それは最も高価なものを破壊することだった。

いくつかの事例によると、ポトラッチにおいては、お返しを貰うのを望んでいると思われないために、贈与や返礼をせずに、ひたすら物を破壊するのである。彼らはギンダラ(キャンドル・フィッシュ)の油や鯨油の樽をそっくり燃やしたり、家屋や数千枚の毛布を焼き払い、競争相手を「負かす」ために高価な銅器具を壊したり、水中に投げ込んだりする。このようにして自分や家族の社会的地位を高める。(前掲書)


破壊されたものを返礼することはできない。そのことによって勝利が確定するのである。なぜそのようなルールが可能になるのか?それはポトラッチの場が精霊たちの場であったからである。

大きいアワビの貝殻、これで覆った楯、これで飾った帯や毛布に、人の顔、目、動物の顔、人物などを織り込み、刺繍した紋章入りの毛布などすべてが生命のある存在である。家、梁(はり)、すべてがものを言う。屋根、火、彫刻品、絵画、すべてがものを言う。というのも呪術性を備えている家は、首長やその部下、別の胞族の人々が建てたものというだけなく、彼らの神々や先祖が建てたものでもあるからである。(前掲書)


物や家が精霊に満たされているだけではなく、仮面のダンサーたちも精霊そのものであった。さらに、ポトラッチに参加している首長たちも、「先祖や神々の化身」として参加していた。

というのは、ポトラッチに参加している首長たちは先祖や神々の化身であるからである。彼らは先祖や神々の名前をそれぞれに持ち、その舞踊を行い、それらの霊に憑かれているのである。(前掲書)


つまり、夏季に人間として暮らしていた人々は、冬季には精霊や先祖、神々に変身を遂げ、ポトラッチに参加するのである。精霊たちへの贈与の方法にはどのようなものがあるだろうか。供物を捧げたり祈りを捧げたりという方法があるだろうが、最も確実な方法は、物の形を破壊することだった。物の形を破壊することによって、人間界とは異なる次元に位置する精霊たちの世界に、霊的な贈り物をストレートに届けることができたのである。

精霊や先祖、神々になされた贈り物は、人間の力によって返礼することはできない。だから、高価な物を破壊することによって富の戦いに勝つことができ、社会的地位を不動のものにすることができたのである。

ポトラッチについては、モースとは異なるもう一つの見方をすることができる。それは北アメリカ北西沿岸が、生存経済的には大変豊かな土地だったということである。人間の手を加える必要性が最も乏しい地域だったということである。そのような地域では、余剰物を蓄えるよりも、生存経済のサイクルが順調に回ることの方が重要だった。余剰物を蓄えることによって、生存経済の豊かさが枯れてしまったのなら、その危機の方がはるかに大きな危機だったといえるだろう。余剰物を浪費すること、高価な物を破壊することは、豊かな生存経済を維持するのに必要な行為だったといえるのではないだろうか。