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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

監禁からの解放とケアの家族化

フーコーによると、ヨーロッパの産業化された社会では、17世紀後半に「大監禁」の時代が始まるとされる。監禁されたのは、「精神病者だけでなく、失業者や不具者や老人など、すべて働けない者」たちだった。

十七世紀頃から産業社会が形成されはじめ、このような人びと〔狂人〕の存在は許されなくなりました。産業社会の要請に応じて、フランスとイギリスではほとんど同時に彼等を収容するための大きな施設がつくられました。そこに入れられたのは精神病者だけでなく、失業者や不具者や老人など、すべて働けない者が収容されたのです。
フーコー「狂気と社会」神谷美恵子訳)

なぜ大規模な監禁が実施されたのか? それは近代という時代を迎えるための下ごしらえとでもいうべきものだった。近代社会は「理性」という光で照らされねばならない社会だった。だから闇にあたる部分は切り落とされねばならなかったのだ。

17世紀までのヨーロッパでは、癩施療院を除いては、人間を監禁する施設はなかった。囚人や罪人を一時的に留置する場所があっただけで、多くの場合、社会秩序を乱す者たちは、コミュニティから追放されるだけだった。

追放から監禁への変化が、近代社会の下ごしらえをすることになる。監禁によってモラルが変化するのだ。非道徳的なふるまいは非理性的なものとされ、17世紀の後半あたりから、声高な非難がなされるようになる。

17世紀に非道徳的なふるまいとみなされたものは、「安逸怠惰」だった。この安逸怠惰に対する非難によって、「働けない者」たちが監禁されたのだとフーコーは指摘する。

文芸復興の黎明期には、ホイジンガを信じるならば、最高の罪は、〈貪欲(アヴァリス)〉という姿、ダンテのいう盲目の貪欲だった。ところが反対に、十七世紀のあらゆるテキストでは、安逸怠惰(バレス)がすさまじい勝利をおさめることになる。今や、安逸怠惰こそが諸悪の輪舞をみちびき、それらを引きずりまわすのだ。〈一般施療院〉は、「あらゆる無秩序の根源たる物乞いと無為」を阻止すべしと、その創立の勅令に述べてあることを忘れてはならない。
(田村俶訳『狂気の歴史』)

 理性の時代に、「働かない者」たちに対する非難は、「働けない者」たちに対する嫌悪に転化する。働けない人たち、すなわち貧しい人たちは、非理性的な存在とみなされるようになる。理性があるのならば、「安逸怠惰」に陥ることはないと思われたからだ。

フランスでは1657年に〈一般施療院〉が創設されるが、その創設とともに貧民の《大規模な監禁》が始まる。次のテキストには、〈一般施療院〉創設から一週間後のパリの様子が描かれている。

「この日、パリ全市は相貌を変えた。大多数の乞食は田舎へひきあげ、きわめて賢明なる者はみずからの労働によって生活の資をえることを考えた。(中略)四万人の乞食は四千ないし五千名に制限されて、彼らは非常に幸運にも《一般施療院》へ収容された。しかし以来、その人数は増加し、しばしば六千名を越え、今では一万名以上に達している(※1676年の無署名の冊子、『一般施療院』所載)」。(同前)

17世紀半ばのパリ市の人口は約50万人とされる。その人口の8%にあたる4万人の「乞食」がおり、そのうちの四千人から五千人が一般施療院に収容される。一般施療院に収容された「乞食」の人数は、パリ市の人口の約1%を占めることになる。そして一般施療院の創設から20年後には、収容される者の人数が1万人を超えることになる。

これだけの数の収容者は施療院で何をしていたのか? 労働である。フーコーによると、17世紀のヨーロッパは、「賃金の低下、失業、貨幣価値の下落といった」(同前)経済危機に陥っていた。そして経済危機によって、「無一物で社会的な絆をもたぬ人々、新しい経済発展にともなって、一時期、不安定な状況におかれたり、見棄てられた階級の人々」(同前)が大量に出現することになったのである。

この経済危機への対策として、「大監禁」が始まることになる。初めは失業者対策であったが、監禁者はしだいに「安い労働力」として扱われることになっていくのである。

しかし、〔経済〕危機の時期を別にすると、監禁は別の意味をおびる。その抑圧の機能は、新しい効用によって補足されるのである。もはや失業者を閉じこめることが問題ではなくて、被収容者に仕事を与えて、万人の繁栄のために彼らを役立たせることが重要である。明らかに役割の交替が認められるのであって、完全雇用と高賃金の時期における、安い労働力、その一方では、失業の時期における、怠け者の再吸収と暴動や動乱の社会的な防止が目指される。(同前)

 産業革命によって資本主義が確立する以前の社会では、貧乏人の存在こそが社会的富を支えていたのだとフーコーは指摘する。

貧乏……は、それが富裕というものを存在可能にさせている点からしても、必然的である。欠乏状態にある人間の階級が労働してくれるが、しかもあまり消費はしないおかげで、一つの国民は富裕になり、その田畑や植民地や鉱山から利益をあげ、全世界で販売されるようになる商品を製造する。要するに、貧乏人をもたぬような国民は、貧乏になるだろう。貧窮にこそ、一社会のもっとも秘密な、だがもっとも現実的な生活が隠されている。貧乏人が諸国民の支柱と栄光を形づくるのである。(同前)

なんだか現代社会の低賃金労働者と富裕層を見ているようだ。多くの人たちが生活を切り詰めなければならないなかで、株価は上がり、富裕層は増え、経済は回復基調にあると日銀総裁は語る。貧しい者が増えれば増えるほど、「国民」は富裕になるというメカニズムだ。フーコーが言うように、「貧窮にこそ、一社会のもっとも秘密な、だがもっとも現実的な生活が隠されている」といえるだろう。

しかし雑多な人々を収容する無秩序な監禁は、産業革命による工場の出現によって解消されることになる。

重商主義中心の経済では、生産者でもなく消費者でもない〈貧乏人〉は、占めるべき位置をもたなかった。というのは、放浪者で失職者で無為である貧乏人は、監禁施設にのみ所属しているのであって、監禁こそは、貧乏人が社会から追放され、いわば抽出される場合の処置だったのだから。工業が出現しはじめ、それによって働き手が必要になってくると、貧乏人は、国民という団体のなかにふたたび加えられるのである。(同前)

 重商主義というのは、16世紀前半から 18世紀前半にかけてヨーロッパ各国に支配的にみられた経済政策とそれを裏づけた理論だ。輸出超過だけが富を生みだすという理論で、そこでは富裕層以外の「国民」は必要のない存在だった。工場労働者が必要とされる時代になって、はじめて「貧乏人」は、「国民」に加えられることになる。

そして、貧乏人が国民に加えられることによって、監禁施設には貧乏人以外の「働けない者」たちが残ることになる。つまり、狂人たちである。そこから医学は、狂気に向き合うことになる。

国民としての労働者が誕生するとともに、18世紀末には「維持費がかさむ広大な施療院を建築するかわりに、人々が病人の面倒をみる家族をじかに援助する」(同前)方向に施策が展開されることになる。貧乏人の監禁からの解放は、同時に、ケアの家族化を進めることにつながったのだ。

治療の自然な場所は、施療院ではない。それは家庭であり、少なくとも病人をじかにとりまく人々である。貧乏が労働力の自由な流通のなかで解消されなければならないのと同じく、病気は人間の自然本来の場によって自然発生的にもたらされる看護のなかで無くならねばならない。すなわち、「真の慈善をほどこすためには、社会じたいは、できるだけ努力しないようにすべきであり、慈善に依存しうるかぎり、家族および個人がもつ個別的な力を活用すべきである」。
これらの「個別的な力」、十八世紀末に人々はそれを推奨するのであり、それを組織化しようと試みるのである。イギリスでは1722年の法令では、家庭におけるあらゆる形式の救済が禁止されていて、そのため、病気の貧窮者は施療院につれていかねばならず、そこでは姓名を聞かれることもなく、おおやけの慈善をほどこされるようになっていた。ところが1796年の新しい法令はこの処置を「不適切で高圧的」だと見なしてそれに修正を加えているのである。というのはその処置は、……「家庭環境にそなわっている励まし」を受けるのを認めていないからである。新しい法令では、各教区内で監督官が、家庭にとどまっている貧しい病人にどんな救済が与えられうるかを決定するようになる。(同前)

 少子高齢社会を迎えるにあたって、行政の施策は、家族によるケアを進める方向に向かっている。それは「真の慈善をほどこすためには、社会じたいは、できるだけ努力しないようにすべき」であるという、18世紀末のヨーロッパの施策に酷似するものだといえよう。なぜ二百年前の施策を模倣しなければならないのだろうか。そこにぼくたちが異議申し立てをしなければならない理由があるのだといえる。

次の絵はフランスの画家ジョルジュ・デ・ラ・トゥール(1593-1652)による『ゆれる炎のあるマグダラのマリア』(1635-38)である。マグダラのマリアの見つめる炎が、「理性」というものである。理性の光を見つめることで人間は自己なるものを発見するが、それ以外の部分は闇に覆われることになる。

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次の絵も同じくジョルジュ・デ・ラ・トゥールによる『帽子のあるヴィエル弾き』(1631-36)である。辻芸人であるヴィエル弾きは、理性のないものの範疇に含まれ、貧しい老人として描かれていることがわかる。

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次の絵は、オランダの画家ヤン・ステーン(1626-1679)による『贅沢に注意』(1663)である。

画像左の眠り込んでいる主婦の周囲では、乱痴気騒ぎが巻き起こされている。真ん中にいるのは娼婦で、右側では男女の聖職者たちが聖書を眺めながら嘆いている。「安逸怠惰」な暮らしは家庭の破綻を招き、道徳的に批判されるべきものであるというメッセージが込められている。

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