rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

多いなる監禁と市民社会

次の絵は17世紀オランダの画家、フランス・ハルス(1580-1666)による『養老院の女理事たち』(1664)である。英語のタイトルでは、養老院はOld Men's Almshouseとなっている。老人用救貧院という意味である。

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この絵に関して、異なる二つの解釈がある。一つはオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)による「芸術上の奇跡」という称賛であり、もう一つは大監禁時代を表わすものだというフーコーの解釈だ。

ホイジンガは1940年5月のドイツ軍のオランダ侵入・占領という状況下で、『レンブラントの世紀』(1941)を書きあげた。その中でこの絵に触れている。

殆ど八〇歳に近いフランス・ハルスがいかにしてハーレムの養老院の婦人理事者たち、つまりそれらの容色も褪せたありふれた老婦人たちに永遠の生命を吹き込むことができたかは今もなお一つの芸術上の奇跡であって、それによって、おそらくわれわれにはその名前や行状さえも分らない彼女らがあたかも王侯や詩人のように長く歴史に残っているのである。(中略)かれ〔ハルス〕の洞察と技量はみずからかつて覚えがないほどに冴えており、ここに一つの詩を、すなわち一つの時代と国民の全体がそこに表現されている詩を創造したのであった。今や彼はベラスケスもなしえなかったことをなし遂げたのであった。(栗原福也訳)

 「ありふれた老婦人たち」は市民をさしている。その市民たちに「永遠の生命を吹き込む」ことによって、「国民の全体がそこに表現されている詩を創造した」というのである。

オランダはヨーロッパ史上で初めて国民国家という形態を採った国だ。オランダという「国」はもともとなかった。現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヵ国にあたる低地地域がネーデルランドと呼ばれ、15世紀末からスペインを本拠とするハプスブルク家の領土(家領)となっていた。そのハプスブルク家からの独立を勝ち取ったのがネーデルランドの北部諸州で、オランダ(ちょっとややこしいが正式名称はネーデルランド)という国家になる。

独立を達成したときに、オランダは○○王家の領土(家領)ではなく、そこに住んでいる市民が統治する国になる。この市民の統治によって、「国民」という概念が誕生する。「国民」という概念はまったく新しいものだったのだ。

ホイジンガは、スペインの宮廷画家ディエゴ・ヴェラスケス(1599-1660)を引き合いに出している。宮廷画家だったヴェラスケスに「国民」を描くことができないのは当然だった。ハプスブルク家という家の家領であったスペインには、まだ「国民」という概念は確立されていなかったのだから。

ヴェラスケスが描いたのは、国民ではなく人間だった。次の絵は宮廷道化師を描いた『道化セバスティアン・デ・モーラ』(1645)だ。中世のヨーロッパでは、悲惨な人たちは、半ば嘲笑の対象となりながらも、神秘的な力が乗り移っている神聖な存在だとみなされていた。ヴェラスケスはそのような悲愴な顔つきを描くことができたのだ。

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フーコーホイジンガとはまったく異なった見方をする。『女理事たち』の絵は、「大監禁時代」の到来を描いた「もっとも衝撃的な絵の一つ」だと。

これまで西洋で描かれた絵のなかでもっとも衝撃的な絵の一つは、フランス・ハルスの『女理事たち』〔『ハールレムの養老院の女理事たち』〕であるとわたしは思います。(中略)この絵は、古典主義時代、つまり十六世紀末、十七世紀初頭の、ある意味では天才的発明といってもよい、ひとつのきわめて独創的な実践行為に結び付けられている。(中略)黎明期の資本主義がさまざまな新しい問題、とくに労働力や失業者といった問題に直面し、十七世紀の社会が、フランスやドイツ、それからイギリスなどでも民衆の大暴動を経験するにいたって、その時はじめて、人は収監するという手段に訴えた。(菅野賢治訳「大がかりな収監」)

フーコーによると、17世紀後半のヨーロッパでは、施療院や救済院、慈善院、感化院、監獄、収容所などといった大規模な監禁施設が各地で設置されることになる。そこに監禁されたのは、「貧困者」たちだった。

一六五六年という一つの日付が目印になりうるが、それは、パリにおける〈一般施療院〉の設立が布告された年である。一見、それはただ行政上の改革――いや、ほとんどその再編成にすぎない。既存の諸施設が、唯一の管理権のもとに統合されるわけである。(中略)これらのすべての施設が、いまやパリのすべての貧困者「性別、出身地、年齢の別なく、地位身分を問わず、健康であれ病身であれ、病気が進行中であれ回復むかっている場合であれ、全治可能であれ不治であれ」あらゆる貧困者にふりむけられる。(田村俶訳『狂気の歴史』)

このような監禁施設は、実際の運営はブルジョワジー、つまり市民たちによってなされていた。中世までは慈善の対象であった人々が、監禁の対象に変貌を遂げることによって、ブルジョワジーは安全で均質な生活空間を手に入れることになる。慈善の問題は、監禁によって解決されることになるのである。

古典主義時代のカトリック教会は――きわめて明瞭な解答を出す。すなわち、〈一般施療院〉と〈慈善本部〉の創設以来、神はもはや貧しき者のぼろのかげに身を隠していない。餓死しかけているイエスに一片のパンを与えるのを拒むことにならないかという恐れ、かつて、慈善にかんするすべてのキリスト教神話を一貫して流れていて、救済にかんする中世の大いなる宗教儀礼に絶対的な意味を与えたあの畏怖、こうした畏怖は、「その根拠を失うだろう。(同前)

このような感受性の変化によって、貧しい人々は暴動を起こす宗教的な根拠を失うことになる。「神はもはや貧しき者のぼろのかげに身を隠していない」からだ。

暴動を起こすような貧しい人々を監禁し、王侯貴族から政治的権力を奪いとることができるのなら、市民社会が誕生することになるのである。

ナチス・ドイツの占領下で、ホイジンガは『女理事たち』に、「永遠の生命」を吹き込まれたオランダ国民を見た。同じ絵にフーコーは、悲惨な人々の監禁される姿を見たのである。