rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

死の勝利と狂気の覚醒

フーコーによると、15世紀から、狂気がヨーロッパの文学や絵画のテーマとなっていく。

『狂人の治療』と『阿呆船』のジェロームボッシュから、『デュル・グリート』のブリューゲルにいたる画像(イマージュ)の長期間の支配時代がある。〈阿呆祭〉や〈狂人の踊り〉などの入り組んだ主題がそれである。以上のとおり、十五世紀以来、狂人の相貌が西洋の人間の想像力につきまとったことはまったく真実である。
(田村俶訳『狂気の歴史(1961)』)

なぜ突如として15世紀のヨーロッパで、狂気が描かれるようになるのだろうか。フーコーは「狂気の嘲笑が死とそのきまじめさにとって代わる」のだと言う。

十五世紀の後半期に入る以前、もしくはその少し先までは、死の主題だけが支配的だったのだ。人間の終末、世界の終末は、ペストと宗教戦争という様相を呈していた。(中略)ところがその世紀の末になると、あの多いなる不安が旋回し、狂気の嘲笑が死とそのきまじめさにとって代わる。(同前)

15世紀までのヨーロッパでは「死の主題だけが支配的だった」。それは人間が死に向き合って生きていたことを意味する。なぜか?フランスの思想家ジャック・アタリ(1943-)によると、人口学的にいえば、十三世紀末には八千万人いたヨーロッパの人口が、1348年から1450年のペスト流行で半減することになる(斎藤広信訳『1492 西欧文明の世界支配(1992)』)。そして宗教的には、ローマ・カトリック教会だけが死後の人間の永遠の生を保証してくれる存在だったということがある。生活で死の占める割合が多く、死後の救霊の選択肢がかぎられていたのだったら、きまじめに死に向き合うしかない。

その状況が一変したのだ。なぜか?

1453年のコンスタンティノープル(現イスタンブール)陥落によるビザンツ帝国の滅亡によって、ビザンツから優れた学者がイタリア半島に相次いで移住し、ビザンツ帝国に保管・継承されていたギリシャ語の古典文献の読解が可能となり、ルネサンス(文芸復興)が本格化することになる。

1492年にクリストファー・コロンブスが誤って「新大陸」を発見してしまう。これはヨーロッパ世界の倍増を意味することになった。

当時、三億の人間が地球上に住んでいた。その半分以上はアジア、およそ四分の一がアメリカ大陸で、わずか五分の一だけがヨーロッパで生活している。(アタリ同前)

 世界に占める人口割合五分の一のヨーロッパが、人口割合四分の一のアメリカ大陸を、――文字通り――飲み込んでしまうことになるからだ。「新大陸」の発見によって、ヨーロッパは右肩上がりの経済が可能となり、ヨーロッパ各地で人口増加が続くことになる。「1440年と1560年の間にヨーロッパの人口は二倍になる(アタリ同前)」。貧しい者たちは、「新大陸」でチャンスをつかむことができるからだ。

キリスト教神学に代わるギリシャ・ローマの古典文芸との出会い、そして「新大陸」という第二のヨーロッパの発見によって、死に向かう死生観が一変することになる。死にではなく、生に向かうことになるのだ。

ところが死生観が一変してしまうと、生が狂気に満たされたものであることに気づいてしまう。死を失うことによって、同時に知恵を失ってしまうのだ。

かつては、死という終局が近づきつつあることを全然認めないのが人間の痴愚〔=狂気〕だったし、死を見ることによって人間を知恵にたちかえらせねばならなかった。ところが今では、知恵はいたるところで痴愚を摘発することに存するだろう。(フーコー同前)

 絵はフランドルの画家ピーテル・ブリューゲル〔父〕(1525-1569)の描く『死の勝利』(1562)と『狂女マルゴ』(1562)である。

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 『死の勝利』では、恋愛や富、権力、軍隊などの地上的欲望は儚いものであることを表現している。

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 『狂女マルゴ』では、地上の世界は痴愚によって満たされており、その圧倒的な痴愚のなかで、人間たちがかろうじて暮らしていることを表現している。痴愚と戦っているのは女性たちであり、鎧鉄兜姿の兵士たちは、なすすべもなく塔や城壁に閉じこもっているだけである。

この二つの絵を現代への寓話だとみるならば、70年前の戦争が「死を見ることによって人間を知恵にたちかえらせ」るものであり、現在は「〔死を忘れた〕知恵はいたるところで痴愚を摘発する」ということになるのだろう。『狂女マルゴ』の世界では、女性たちが痴愚と戦い、兵士たちは痴愚に対してなすすべもなく、安全な城壁に閉じこもるだけである。育児に苦しむ女性たちと、自らは安全な場所にいる軍隊(=権力者)とを描く寓話だと見ることもできるだろう。