rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

《阿呆船》

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)によると、17世紀までのヨーロッパは、狂人を排除・隔離する社会ではなかった。つまり狂人は、社会の一員として暮らしていたのである。

中世紀とルネサンスにおいては、狂人は社会の内部に存在することを許されていました。いわゆる村の狂人は、結婚もせず、遊びにも参加せず、他人によって養われ、支えられていました。彼らは町から町へと放浪し、ときには軍隊に入ったり、行商をしたりもしましたが、あまり興奮して他人にとって危険になると、他人が町のはずれに小さな家を建てて、一時的にそこに入れられたこともありました。(神谷美恵子訳「狂気と社会」)

このような狂人たちの姿が、ルネサンス芸術が盛期を迎える15世紀後半から、文学や絵画のテーマとして好んで取り上げられるようになる。

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 絵はネーデルランドの画家ヒエロニムス・ボス(1450-1516)が描くところの《阿呆船》(1490-1500)である。このような狂人の船というイマジネーションは、15世紀後半に登場してくるとフーコーはいう(『狂気の歴史(1961)』)。

文芸復興期の空想上の風景のなかに、一つの新しい事物が出現し、やがてそれは特権的な位置をしめるようになる。それは狂人の船(ネフ・デ・フゥー)、つまりラインランド地方の静かな河川やフランドル地方の運河にそって進む奇怪な酩酊船である。(田村俶訳)

ラインランドはドイツ西部のライン川沿岸の一帯を指す地方の名称であり、フランドルは低地を意味するネーデルランドのことで、オランダ南部からフランス北部にかけての地域のことをいう。このように水上交通の発達した地域で、狂人の船という空想上の風景が描かれたのである。

ルネサンス盛期にはそれ以外にもさまざまな夢想の船が空想されたが、フーコーによると、《阿呆船》は空想上の産物ではなく、実在するものだった。

だが、これらの空想的あるいは嘲笑的な船のうち、阿呆船(ナレンジッフ)だけが現に実在した唯一の船である。実際、気違いという船荷をある都市から別の都市へはこんでいる船が実在したのだった。当時、狂人は容易に放浪しうる生活をいとなんでいた。都市は狂人を市域のそとに放逐しがちだったし、ある種の商人や巡礼たちに預けられなかった場合、彼らは人里はなれた野を自由にさまようことができた。(同前)

水上交通によって発達した各都市は、その都市の市民に属する狂人は保護したが、接岸する船に乗せられていた他国の狂人たちを受け入れることはなく、巡礼と称して他の都市に放遂するのが慣例だったようだ。つまり狂人たちは、各都市に接岸するがそこに上陸することは果たされず、水上だけが彼らの土地といえるものだった。

狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。(同前)

 水上は他界であった。狂人たちは他界に放遂され、他界から現世に接岸するのである。そして狂人は都市の関門で監禁されることになる。現代風にいえば、空港ロビーだけが狂人の地上における場所だということになる。それは外部の内側でもあるし、逆に内部の外側ともいえる場所だ。

狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。(同前)

17世紀までのヨーロッパでは、狂人の船のような狂気の追放によって、社会秩序を保ってきた。しかしぼくたちは、ボスの絵によって、狂人たちの意味不明なつぶやきを聞くことができる。このつぶやきのなかに、ぼくたちの狂気は潜んでいる。ぼくたちがこの船に乗り合わせていないという証拠などどこにもないからだ。

17世紀フランスの思想家ブレーズ・パスカル(1623-1662)は、「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」(同前)と『パンセ(1670)』で述べている。人間の存在自体が狂気じみているので、狂気じみていないことも狂気の証だということだ。

フーコーは『狂気の歴史』の巻頭に、このパスカルの言葉をあげている。それはぼくたちが《阿呆船》の乗組員だという前提に立っていることを意味する。