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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

神話的思考と五つの墓

歴史的な偶然性によって過去の家意識を垣間見ることができるエリアが出現することがある。浦添市営の浦添墓地公園などはその一例だ。同公園の沿革についての詳細は不明だが、「浦添市墓園条例」が昭和48(1973)年7月31日に制定されているところを見ると、1970年代あたりに同公園が整備されたとみることができる。

この墓地公園の特徴の一つは、同じ年に建立された墓が多いことだ。つまり、道路整備や公園整備などによってそれまでの墓地が収容され、同じ地域の墓が一斉に同墓地公園に移設された跡がみえるということだ。

同墓地公園を散策すると、「○○家之墓」という墓名表記の多くが、屋号に基づいていることがわかる。屋号といっても確定申告などで記載される屋号とは別物だ。確定申告の屋号欄は、個人事業者の方が使用する商業上の名のことをいう。加賀屋、越後屋などという屋号で、江戸時代からの慣習に基づくものだ。主に商号を屋号としている。

沖縄の屋号は「ヤーンナー」と呼ばれ、「ヤー(家)」の名前である。同墓地の一角で、このヤーは、次のように表記される。形態は連棟式で、各墓が仕切られながらも連続している。

①字××  西○○家之墓、
②字××  前ヌ東リ○○家之墓、
③字××  東リ○○家之墓、
④字××  前ヌ○○△△家之墓、
⑤字××  次男前ヌ○○△△家之墓、

これらの5家の墓の建立年は同時で、1982年となっている。使用していた墓地が何らかの公共事業の用地として収容され、同時に移転したものだろう。

墓にはまず出自の集落(シマ)名が記されている。①の「西○○家」というのは、ヤーンナーで呼ぶと、「イリ○○ヤー」ということになる。②は「メーヌアガリ○○ヤー」、③は「アガリ○○ヤー」、④は「メーヌ○○△△ヤー」、⑤は「次男メーヌ○○△△ヤー」ということになる。

○○ヤーというのが起点になって、①は○○ヤーの西にある家、③は○○ヤーの東にある家、②はその東にある家の前方にある家、④は○○ヤーの前方にある家から婚出して、姓が△△に変わった家、⑤はそこから分家した次男の家、ということになる。

この表記法で重要な点は、「○○家先祖代々の墓」というような時間的な永続性が記されていないということにある。そうではなくて、シマの中におけるヤーの空間的位置関係性が重視されているということだ。それでは何が墓に時間的な永続性を与えるのであろうか。

それはシマ社会の持つ永遠という時間意識によるものだといえるであろう。沖縄は日本における寺社のような全国的な宗教的ネットワークを持つことはなかった。誕生・死・他界という霊的な世界は、各個のシマ社会だけで完結していたのである。

神はシマ固有の神であり、他シマの者がシマの神を礼拝することはなかった。そのような神は死者の霊を伴って、正月や盆、豊年祭などの祭りの日にシマを訪れた。神の来臨が永遠という時間意識と結びつくならば、シマ社会はそれ自体が永遠という時間意識と結びつくものだったのである。そのため、シマ社会の中で各自のヤーはどのような位置関係を持つのかが重要だったのだ。そして位置関係は「先祖代々の墓」というような世代継承感覚を持つ時間意識で表わされるのではなく、空間的位置関係によって表わされたのだといえる。

おそらく事例であげた親族集団の属する「○○ヤー」というのが、当該シマ社会の構成単位となるヤーの一つで、それは創世神話に結びつく家であったといえるだろう。沖縄の神話や伝説をみると、シマ社会自体で創世神話を持つところが少なくない。つまり、人類はこのシマから誕生したのだという神話である。そして、創世神話に基づく宇宙的秩序として各家の位置づけが決定され、それらの家は、「根」とか「元」、「仲」と称されることになる。そのため「根」や「元」、「仲」にあたる「○○ヤー」との関係性が、ヤーの永続性を意味することになったのだといえる。

前述した連棟式の墓を築いた五つの家は、世代継承による時間意識として墓を建立したのではなく、「○○ヤー」との空間的位置関係によって永遠という時間意識を確保しているといえる。そのような空間的な永遠の時間意識は、歴史的時間意識にとらわれることのない神話的時間意識だといえる。その神話的時間意識を共有するがゆえに、五つの家は強固な相互扶助組織として結びついていた、という可能性を考えてみることもできるのではないだろうか。


浦添墓地公園1
浦添墓地公園2
浦添墓地公園3