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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

狩俣うやがむのにーり(五)

狩俣ウヤガンのニーリは次のような五部構成から成る。
(一)蛇神のフシライと女神マツメガを呼び出す祈りから始まり、
(二)フシライとマツメガの棲む聖域であるフンムイ(大杜)のなかでも中心的な御嶽であるウプグスク(大城)御嶽を祀るマダマが七人の子を産み、
(三)マダマの末娘であるマヅマラーが見事な着物を織り、その着物を掠奪しようとする外敵がいるが、マヅマラーの甥であるマブコイがその外敵たちを退治して、マヅマラーの織り上げた着物を守る。
(四)ウプグスク氏子の一門の長である者(名前は出てこない)が甥に井戸掘りを命じ、甘い水の出る見事な井戸を掘りあてる。
(五)マダマの三番目の子であるヨマサイ(世勝り)が、宮古島を統一した豪族の傘下に入り、八重山で進貢船を造船し、その進貢船で沖縄の琉球王国に貢物を進上するさまが歌われている。

宮古を統一した豪族は歴史上の人物で、仲宗根豊見親(とぅゆみゃ)という。仲宗根豊見親は、宮古島平良(ピサラ)を拠点とした、15世紀末から16世紀初めにかけて活躍した豪族で、1500年には宮古琉球王国連合軍として八重山に攻め入り、八重山琉球王国の支配下に置かせるという活躍をする。

ヨマサイはその歴史上の人物の傘下にある一員として活躍するので、ヨサマイ自体は歴史上の人物だったといえるだろう。このような歴史上の人物が創世神話とともに語られるのは、ヨマサイが三人のカンヌサア(神の誘う子)の兄弟として生まれてきたという位置づけによるものといえる。カンヌサアたちは、地上的な存在であるというよりも神話的世界に属する人間だといえるからだ。

このような兄弟姉妹関係の設定により、歴史的存在であるヨマサイの活躍は、神話的世界に採り入れられ、歴史的物語は神話的物語に、無矛盾の状態で接続されることになる。つまり、狩俣の豪族が宮古を統一した豪族に服し、宮古琉球王国に服属したとしても、狩俣というミクロコスモスの宇宙的秩序には、なんらかの変更をきたすことはないということである。

このような設定により、山のフシライ(妖怪)を父とし、女神マツメガを祖神(ウヤガン)とする狩俣の神話的世界は、初原的状態の可能な限りでの恒常化に成功することになる。

このような神話的世界と歴史的な世界が交接する構造を把握するならば、歴史的な物語を語ることの好きな人たちが、なぜ歴史的事象に執着するのかを理解することができる。彼らは歴史を語るつもりで神話を語っているのだ。しかし彼らと同様に、ぼくたちにはもう神話的世界を理解することはむつかしいことになっている。そのため神話的世界の存在に自覚的でなければ、歴史的な世界観だけで世界を語ることになるだろう。そのとき神話的世界への無自覚さのために、歴史を神話めかして語ることになってしまうのだといえるだろう。

ところで、ニーリ(五)の物語に即して言うと、1500年前後の琉球王国の社会的情勢を垣間見ることのできる部分がある。ヨマサイは狩俣の豪族(親)として八重山に向かうのだが、八重山でヨマサイを迎えるのは、親身分の者ではない。「使い主」「名義主」という身分の者だ。おそらく一段下の身分の者だということだろう。ここに宮古琉球王国連合軍による八重山征服の跡をたどることもできる。

琉球国王が坊天(ぼうてん)という別称で呼ばれているのも興味深い。15世紀の琉球王国には日本からの僧侶が多数渡来して、数多くの寺院が建てられたとされている。それらの僧侶の役割は、主に琉球王国の外交面を担当することだったとみられている。宮古から来た者たちにとっては、琉球王国が坊主の王国のように見えたのかもしれない。


狩俣うやがむのにーり(五)

ウプグスクのマダマは、昔の名高いマダマは、
五人の子を生んだ。七人の子を生んだ。
五人の子の中から、七人の子の中から、
ヨマサイ(世勝り)は生まれた。名高い子は生まれた。
〔ヨマサイは〕パギンミを見立てられ、大きな屋敷を見立てられ、
パギンミに来られ、大きな屋敷に来られ、
パギンミに城を築いた。大きな屋敷を築いた。
造られてからは、仕上げられてからは、
〔仲宗根豊見親から〕親は寄り合え、殿たちは揃えとの仰せがあったので、
親の寄り合いに出てみると、殿たちの勢ぞろいに参加してみると、
親たちの寄り合いの場で、殿たちの揃った場で、
物事の相談があった。何事かの相談があった。
「狩俣の親よ、名高いヨマサイよ、
思慮分別にすぐれ、賢さは優っているので、
造船の指図をせよ、浮かぶ貝(船)の船頭になれ。」
このように仰せられたので、それだけを仰せられたので、
「親にしてくださるのでしたら、士族に取り立ててくださるのでしたら」と答えた。
我が船の船子、漕ぎ手の船子を、
漲水(地名)に集めて、港に集めて、
船腹の満ちるまで、船縁の満ちるまで、
たくさんの布を積んで、たくさんの桛(かせ)糸を積んで、
交易の準備ができたので、航海の支度が済んだので、
風を待っていると、支度して待っていると、
良い風向きになったので、順風になったので、
北風も穏やかに吹き始め、和やかに吹き始めた。
あれほどの風に、これほどの風に、
船を出してみようかと、祈願してみようかと考えて、
船出してみれば、祈願して船を走らせると、
夜の一夜も過ぎないうちに、夜の二夜も過ぎないうちに、
久貝(地名)主が乗る早舟は、船主が乗る早船は、
南の島〔八重山〕の港で、南の珊瑚礁の埠頭で、
船の着くのが遅いと、浜に着くのが遅いと、
船迎えをしてくれる。浜迎えをしてくれる。
「私をお見知りおきください、親をお見知りおきください、
狩俣の親よ、名高いヨマサイよ、
何が欲しくていらっしゃったのか、どれが欲しくていらっしゃったのか」
「新しい船が欲しい。木造の家(船)が欲しい」
「新しい船をやるなら、木造の家をやるなら、
あなたの土産は何ですか、あなたの交換物はどれですか」
「たくさんの布を積んで、たくさんの桛糸を積んできたから、
たくさんの布を差し上げます、たくさんの桛糸を差し上げます、
欲しいだけもらってください。いくらでももらってください」
相談が済んでから、和談がまとまってから、
南の島の使者は、南の珊瑚礁の顔役は、
すべての島々から、すべての村々から、
樫の材木を取り寄せて、槇の材木を取り寄せて、
材木を集めてからは、船材を集めてからは、
〔鋸で〕百枚の板を挽く大工、八十枚の板を挽く細工が、
吉日に仕事を始めた。日取りを選んで仕事を始めた。
美しく手斧をふるい、見事に大斧をふるい、
宵の口までも、日の出とともに〔仕事して〕
新しい船を生まれさせた。木造の家を生まれさせた。
藁綱を取る者たちを寄せ集めて、名子たちを寄せ集めて、
シマをどよめかせて船を海に下ろした。国をどよめかせて下ろした。
自分の浮津に船を出してみると、自分の泊に船を出してみると、
立派に浮いているのだもの、堂々と波に坐っているのだもの、
我が船の船子、漕ぎ手の船子たちは、
あまりの誇らしさに、あまりの喜びに、
相槌を持って、差し鑿(のみ)を持って、
下からは〔船材の接合目に麻布を〕上げ差し、上からは押し込んだ。
仕立て上げてからは、〔麻布を〕押し込んでからは、
船腹の満ちるまで、船縁の満ちるまで、
たくさんの布を積んだ。たくさんの桛糸を積んだ。
積み上げてからは、〔交易船が〕造られてからは、
風を待っていると、追い風を待っていると、
良い風向きになったので、順風になったので、
南風も穏やかに吹き始め、和やかに吹き始めた。
あれほどの風に、これほどの風に、
船を出してみようかと、祈願してみようかと考えて、
船出してみれば、祈願して船を走らせると、
夜の一夜も過ぎないうちに、夜の二夜も過ぎないうちに、
久貝主が乗る早舟は、船主が乗る早船は、
前の海の船着き場で、我が親泊で、
船の着くのが遅いと、浜に着くのが遅いと、
仲宗根の豊見親は、宮古島を支配する真主(マヌス)は、
生した子のように思い、腹を痛めた子のように思い、
船迎えをしてくれる。浜迎えをしてくれる。
「狩俣の親よ、名高いヨマサイよ、
今年の〔上国の〕旅は、今回の旅は、
我が船でするぞ、自分の船でするぞ、
〔年貢を〕持って行こう。船に乗ってまいろう。」
「粢(しとぎ)主の船ですから、祝い主の船ですから、
粢主はお乗りなさい、祝い主はお乗りなさい」
宮古の二十の集落の、〔首都である〕ピサラの四箇村の、
寄り集まった司〔各シマの御嶽に仕える神女〕たちは、並みいる司たちは、
日取りを選び、吉日を取り定めた。
瀬戸〔狭い海峡〕の先を巡らし、澪の先を巡らし、
それほど高く積み上げた荷を、あれほど高く積み上げた荷を、
船腹が満ちるまで積んで、船縁の満ちるまで積んで、
積み上げてからは、〔上納船が〕造られてからは、
風を待っていると、追い風を待っていると、
良い風向きになったので、順風になったので、
南風も穏やかに吹き始め、和やかに吹き始めた。
あれほどの風に、これほどの風に、
船を出してみようかと、祈願してみようかと考えて、
船出してみれば、祈願して船を走らせると、
夜の一夜も過ぎないうちに、夜の二夜も過ぎないうちに、
久貝主が乗る早舟は、船主が乗る早船は、
那覇の海の港に着き、我が親泊の港に着き、
船の着くのが遅いと、浜に着くのが遅いとばかりに、
あれほど高く積み上げた荷を、それほど高く積み上げた荷を、
〔頭上運搬人の〕頭の数だけ持たせ、頂の数だけ持たせ、
御主(うしゅ)天〔琉球王〕の前に、坊天〔琉球王の対句〕の前に、
立派に進上したので、見事に差しあげたので、
御主の上からは、坊の上からは、
〔御下賜品が〕頭の数だけ持たせられた。頂の数だけ持たせられた。
この由来があればこそ、今の宮古までも、
ヨマサイの末は、名高い主の末は、
〔先祖の〕お陰をこうむっているのである。縁起をこうむっているのである。

(稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』より、具志堅要による意訳)