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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

狩俣うやがむのにーり(三)

ニーリ(三)では、ウプグスク(大城)御嶽を祀るマダマから生まれた末娘のマヅマラーとマヅマラーの甥であるマブコイの活躍が歌いあげられる。マヅマラーとマブコイは、ともにウプグスク・ムトゥに属するようなので、マツメガ、マダマと続く母系親族の系譜に属するものといえる。

物語は、マヅマラーが見事な着物を織りあげたこと、そして、それに嫉妬する他シマの者たちがその着物を奪い取ろうと船で押し掛けてきたときに、甥のマブコイが見事にそれらの盗賊を退治したという話である。

マダマの生んだ七人の子どもたちのうちで、末っ子であるマヅマラーだけが「手仕事にすぐれている子」として、その特性が紹介される。手仕事というのは機織りのことだ。ここから、機織りは、人間の世界での仕事であるとともに、神話的世界における聖なる仕事という両義性をもっていることを知ることができる。

柳田國男は『日本の伝説(1929年)』の「機織り御前」の章で、伝説における機織りの意味を次のように述べている。

昔は村々のお祭りでも、毎年新たに神様の衣服を造ってお供え申していたようであります。その為には最も穢(けがれ)を忌んで、こういうやや人里を離れた清き泉のほとりに、機殿(はたどの)というものを建てて若い娘たちに、その大切な布を織らせていたかと思います。

穢れを忌むということは、聖なる者によって機が織られるということを意味している。折口信夫も『水の女(1927年)』の「たなばたつめ」の章で、聖なる乙女が「来るべき神のために機を構えて、布を織っていた」と述べている。

ゆかは〔神聖な水〕の前の姿は、多くは海浜または海に通じる川の淵などにあった。(中略)そこにゆかはだな(湯河板挙)を作って、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒を受けた後は、皆この資格を得た)の中から選り出された兄処女(エヲトメ)が、このたな作りの建て物に住んで、神のおとずれを待っている。(中略)こうした処女の生活は、後世には伝説化して、水神の生け贄といった型に入る。来るべき神のために機を構えて、布を織っていた。神御服(カムミソ)はすなわち、神の身とも考えられていたからだ。

柳田、折口ともに、古代日本においては、聖なる乙女が神のための衣装を織って、神迎えしたことを述べている。狩俣のマヅマラーも、そのような聖なる乙女のひとりだとみてよいだろう。
この聖なる衣装が奪われようとしたときに、甥のマブコイは、頼まれたわけでもないのに、マヅマラーの織り上げた聖なる衣装を守るために、襲撃する敵を打ち倒すことになる。
ここに母系親族における叔母、甥の関係をみることができる。叔母が聖性を受け持ち、甥は地上的な権力(この歌の場合は武力・腕力)を受け持つという関係性だ。甥の地上的な権力は、叔母の持つ聖性によって保たれているので、甥は頼まれることがなくとも、叔母を守るために戦うことになる。
この叔母、甥の関係性は、姉妹が聖性を受け持ち、兄弟が姉妹の持つ聖性によって地上的な権力を獲得するという「オナリ神」信仰のバリエーションだといえる。聖性と権力における叔母、甥の関係性は、兄弟姉妹が同世代であるのに対して、叔母と甥は一世代異なるだけで、同様の関係性にあるといえるからである。


狩俣うやがむのにーり(三)

マヅマラーは、優れた織り手は、
十読みの布を、糸数を読み揃えて織機にたてて、
夫婦(二反)布を、アマギ(一反に余る)布を織りあげた。
一日で織りあげて、昼間だけで織りあげてしまったから、
夫婦布を、アマギ布を織り集め、
織り集め、仕上げ集めてからは、
ウプグスク・ムトゥにも、集落の中にも持ちよって、
二重の着物を、袷の着物を縫い集め、
縫い集めて、仕上げ集めてからは、
ま胸にかけ、ま首にかけてみたら、
あまりに美しく、とても美しかったので、
ミャーク(狩俣集落の別称)のあらん限り、シマのあらん限りの名声を得た。
根の島までも、他界・異界までもの名声を得た。
沖縄までも、〔王の〕御前までもの名声を得た。
〔名声を〕鳴り響かせてください。誇り続けてくださいませ。
下地(地名)の百姓たち、洲鎌(地名)の平民たちが、
ピサラ(平良)の士族たち、ピサラの殿たちが、
買うというのなら、欲しいというのなら、その気にもなるけれど、
買うとも、欲しいとも言わないで、
ピサラの士族たち、ピサラの殿たちは、
〔他者の〕物を羨(うらや)み、物を嫉(そね)む人たちだから、
布を奪いとろうと、玉を奪いとろうとやってきたのだろうか。
始祖の家のマブコイは、偉大なマブコイは、
自分のことでも、指名されたわけでもないのに、
自分の叔母さん、尊い叔母さんのために、
家から走り出て、家から跳び出してみたら、
遥かの果ての、原野の果ての賤しい連中が
海の上に、海岸に満ち満ちて、
戦意に満ちて、力を漲らせて立っているので、
始祖の家のマブコイは、偉大なマブコイは、
家まで一息に、里元まで走っていって、
自分の刀を、差す剣を取り差して、
ウプグスク・ムトゥに、集落の中に走っていって、
自分の刀を、差す剣を抜き出して、
ひとりずつ勇士を、ひとりずつ戦士を打ち倒し
始祖の家のマブコイは、偉大なマブコイの名は、
ミャークのあらん限り、シマのあらん限り鳴り響いた。
沖縄までも、御前までも鳴り響いた。
根の島までも、他界・異界までも鳴り響いた。
鳴り響き続け、誇り続けてくださいませ。

(稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』より、具志堅要による意訳)