rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

狩俣祖神(うやがむ)のにーり(一)

《狩俣祖神(うやがむ)のにーり》は五部構成になっている。今回はその(一)を紹介する。

狩俣(かりまた)は宮古島の北端に位置する集落で、2010年国勢調査によると、239世帯、604人となっている。

ニーリは歌謡の形態で、呪禱(じゅとう)的歌謡と分類されている。ニーリという言葉の意味は、おそらく「にらいのあやぐ」という意味で神の国の歌という意味だろうとされている。狩俣では、創世神話を再現するウヤガン祭りが執り行われるという。そのウヤガン祭りで歌われるのがニーリである。

「ウヤガン祭り」については、1962年に出版された稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』から、そのあらましを引用する。

宮古島狩俣部落では毎年夏から冬にかけて年四回の「うやがむ祭り」が行われている。この祭りの期間になると三十人の神女達は、部落北方にある大森(ふんむい)と称する山にはいって七日間の山籠りをなし心身を浄めて神に奉祀する、神女たちは白麻でつくった「うぷぎぬ」と称する神衣を着け、頭には草の葉を編んでつくった帽子(かうす)を被り、手には手草(てふさ)を持つ、そして大森の中にある数ヶ所の御嶽を巡礼して祭りを行い、その期間中は神域の外に出るようなことはしない。祭りの様子は遠方から窺い見るだけのことしか出来ないが、神女達は御嶽の前に半輪形に並び、一人が中央にあって司祭の役を勤めるようである。そして神女達は前に進んだり後に退いたりしているが、その都度足拍子をとり手を振りながら拝礼をする。これを三十拝(みそぱい)と称する。この祭りの間神女達はたえず祖神(うやがむ)のにーり(又にーらーぐと言う)を歌い続けるのである。
うやがむは祖先の神様(祖神)の意味である。にーりは神を祭る時の歌のことで狩俣では又「にーらーぐ」とも言っている。これは「にらいのあやぐ」という意味で神の国の歌という意味であるから「にーり」にも同様な意味があると思われる。

この記載からすると、神女たちは合計で一年のうち28日(4回×7日)は、フンムイと呼ばれる御嶽に山籠りすることになる。その期間中は「神域の外に出るようなことはしない。祭りの様子は遠方から窺い見るだけのことしか出来ない」という世俗から隔離された生活を送ることになる。

「にーり(一)」では、太陽の子が賛美される。太陽の子は聖なるフンムイを治める。そしてフンムイを治める太陽の子は、フシライと呼ばれる妖怪変化である。このフシライの次に讃美されるのが、狩俣の祖神(ウヤガン)である女神マツメガである。このフシライとマツメガに寄り集まっていただくよう、祈りを捧げるのである。

狩俣の伝説によると、フシライがマツメガに子を授け、その子どもたちから狩俣というシマが創世されることになる。

稲村氏によると、次のような伝説だ。

狩俣の伝説に依ると、部落の始祖に当る方は女神であるが、父のない子供を生んだので、初立(ういだつ)の時に赤子を抱いて最初に出遭ったものを赤子の父親にしようと祈願して家を出ると門前で大蛇に出遭ったので、この赤子の父親は大蛇であると伝えている。

つまり、母子関係が狩俣創世神話の中核にあたり、その母子関係を成立させたものが神だということになる。人間の男性は、母子関係にかかわることはないのだ。このように人間の男性が排除された神話によって、母親はウヤガン(祖神)になるのだといえる。
蛇神のフシライと女神マツメガを祭りの場に呼び出すことによって、神女たちもウヤガンになる。そして、狩俣のシマに豊饒を予祝するのである。

ウヤガン1
写真は比嘉康雄氏(1934-2000)による撮影。


狩俣祖神(うやがむ)のにーり(一)

天の赤星よ、
太陽の子の真主よ、
鳴り響く太陽の大酋長よ、
真の主である天上の子よ、
治める山にいます主よ、
国の杜にいます主よ、
山のフシライ(妖怪)よ、
青い木の葉の被りものをした真の主よ、
青い被りものは重なり、
木の葉の被りものは神々しい。
始祖の家のマツメガよ、
百草の民の真の主よ、
尊い生まれのマツメガよ、
八十草の民の真の主よ
母なる神に申しあげます。
恐れ多い神に申しあげます。
寄り集まってくださるよう申しあげます。
お喜びくださるよう申しあげます
宮古(狩俣集落)とともにいつまでも、
シマのあるかぎりとこしえに。

(稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』より、具志堅要による意訳)