rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

神を笑わせる歌――《パイフタフンタカ ユングトゥ(黒島)》

ユングトゥというのは、奄美大島八重山諸島に伝わる古謡の一つ。奄美では主に子供たちによって、わらべ歌から災難除け、魔除け等まで広範囲にうたわれる。八重山では祭祀の場で神女や共同体の代表たちによって唱えられる。五穀豊穣を予祝し、航海や恋をうたう。

日本や奄美、沖縄の歌謡では、叙事詩は少なく定型の抒情詩が多い。それに反して宮古八重山の歌謡では、叙事詩の占める割合が多い。その叙事詩を訳すると、定型抒情詩の世界とは異なる世界観が描けるのではないかと、20年ほど前に取り組んだことがある。取り組みは病によって中断されたが、いくつか私訳を試みたものが残っているので、それを少しずつ紹介していきたい。

今回紹介するのは、竹富町黒島の《パイフタフンタカユングトゥ》。123節に及ぶ長大な叙事詩で、黒島から宮古島への航海をうたっている。

パイフタは地名で、黒島にあった集落の一つ。1771年の明和の津波で壊滅的な打撃を受け、生き残った人々は仲本ムラ(ムラは集落のこと。シマともいう)へ移り住んだという。写真は、黒島仲本集落に残るパイフタ御嶽(おん)。

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フンタカというのは人名で、このユングトゥの主人公。このユングトゥでは、勇壮な船出を歌い上げ、フンタカは航海から戻ると、黒島の神をからかい、神に謝罪しながら、おかしな言葉で神を笑わせてしまう。そこにはアルカイック(古拙)でおおらかな笑いの世界がある。

 


パイフタフンタカ ユングトゥ

パイフタ村のフンタカは腕利きで利口なやつ。
早朝に起きて、朝っぱらから身支度し、
大和製の大斧を、山城製の鉄斧を、
荒研ぎに荒研ぎし、きめ細かに鋭く研ぎ、
腕に取って、肩に担いで、
牧泊に持って下りた。前泊にひっさげていった。

そして樫の木の板を削りに削り、
船板を引き曲げに曲げて、
三枚板の船を生まれさせた 三つの筋のある船を誕生させた。

おれも〔船と一緒に〕生まれたぞ。殿〔自称。以下同じ〕も生まれたぞ。
我が船「早先」を、生まれさせることができたんだからな。

 船をリーフの澪(みお)に下ろし、前の水脈に下ろし、
海に下ろし、外海に下ろし、
潮を踏ませて見てみたら、浮かばせて見てみたら、
我が船「早先」は美しく潮を踏んでいるよ、きれいに浮かんでいるよ。

あんまりうれしくて、どうしようもなくいとおしくて、
艫から見れば、艫からの曲線が美しい。
舳先から見れば、舳先からの曲線が美しい。
真ん中から見れば、若月のように、三日月のように生まれている。
〔重心に狂いはなく〕秤の竿が、水準秤が水平だ。
大海原に進め、神の棲む海原に浮かべてみた。

それから家に帰って、
裂いた葛の白い芯のように、白い腹をさらし、
挽臼の心棒のようにマラをおっ立てて、
眠りながら聞いていると、

 牧泊、前泊の潮の鳴るのを聞いていると、
七十すぎたジイちゃんがしわぶくように、
八十すぎた老人が咳き込むように、
長い咳のように鳴っているので、
咳き込みのように鳴っているので、
これはどういうことで、こんなに鳴っているのだろうか、
これはどうして、こんなに鳴っているのだろうかと庭に出て
天空を渡る雲を見てみると、
庭先に出て、仰向けになって見上げてみると、

 天空を渡る雲は、
長い脛をした人が畦を跨ぐように、流れに流れているので、
あー、風が生まれているんだな、
上空は晴れ渡るんだなと思って、
あんまりうれしくて、どうしようもないほどうれしくなって、

 明日になったら、夜の目が明けたら、
この風が生まれるころに、この空が晴れ渡るときに、
大いなる宮古島の二十もの村々を拝んでみたいと思った。
父なる地に、母なる島に行ってみたいと思った。

 牧泊に下りて、前泊に行って、
おいらの船を陸に繋ぎ、「早先」を港に引き寄せて
おいらの船に上り、「早先」に乗り込んだ。

おいらを見送ってくれる、殿を見送ってくれる人もいるんだろうかと陸上を見れば、
ウリズンの季節に、若夏の季節に浜に下りる蟹のように、
黒山のように人が群れていたので、
おいらを見送ってくれる、殿を見送ってくれる人もいるんだと思っていたら、
父方の親戚は、加玻羅玉(がーらたま)が欲しいとおっしゃる。
母方の親戚は、勾玉(まーりぃたま)が望みだとおっしゃる。
加玻羅玉、勾玉というものは、私は存じませんとしらばっくれてしまった。

 保慶(ふき)村の笠石(かさしぃ)に船が並んだとき、
保慶村のむすめたちは、
おいらの見送りを、殿の見送りをしてくれるのかなって、振りかえって見れば、
保慶村のむすめたちっていうのは、
絞り染めの手拭いをかぶって、手招きをしているのだもの、
面白くってたまらない。

あー、そうか、
おれを見送ってくれる人、殿を見送ってくれる人も、いっぱいいるんだとわかって、
あんまりうれしくなって、
船を走らせに走らせ、進めに進め、
大崎に並んだとき、

あー、西表島古見岳、八重岳にかかる雲は、
どんな様子かなって見れば、
ウリズンの季節に、若夏のころに、
麦を焼くむすめたちが立てる煙のように、
尾を棚引きに棚引かせ、引き延ばしに引き延ばしているので、

あー、ほんとに、
風が生まれるんだな、上空は晴れ渡るんだなと、
船を走らせに走らせ、進めに進めて、
ブラシ岩に並んだとき、

 保里(ほり)村のむすめたちは、北の村の恋人たちは、
おいらの見送りを、殿の見送りをしてくれるのかなって、振りかえって見れば、
あー、保里村のむすめたちは、
蒲葵(くば)の葉の扇を持ち、手招きしているんだもの、
面白くってたまらない。

あんまりうれしくて、たまらなくうれしくなって、
あー、おいらの見送りを、殿の見送りをしてくれるんだなって、
船を走らせに走らせ、進めに進めた。

 穴内(地名)を走っているとき、
おいらの船の舳先にかかる潮を見てみたら、
月光を照らして、昼間の光を照らして走るのだから、
面白くってたまらない。

 砂の珊瑚礁を走るとき、
あー、舵間にかかる潮は、どんな具合かなって見ると、
舵の間にかかる潮は、
貢ぎ物の布を、十尋の布を張り延ばすように、
あー、延びに延びているので、
おいらの船「早先」は、うまく通り抜けるんだよ。

 大口というリーフの切れ目を通り抜けるとき、
あー、おいらの船「早先」の、おもてにかかる潮を見てみると、
暗礁に砕ける波のように、
若い二十ごろのむすめたちが笑うように、
砕けに砕け、笑いに笑っているので、
あんまりうれしくなって、走らせに走らせた。

おいらの船「早先」の、釘の鏑(かぶら)にかかる潮を見てみると、
釘の鏑にかかる潮は、
月光を照らして、昼間の光を照らしているから面白い。

おいらの船の船脚を見てみると、
長い脛をした人が畦を跨ぐように、田んぼを越えるように、
腰が座って走っているんだから、
おいらの船「早先」は、うまく走り抜けるんだよ。

 竹富島の東を通り、仲嵩(竹富の対語)の表を通り、
石垣島の白保崎、親島と並んだとき、
あー、我が島、生れ島だったのに、
どうしたのかなって、振り返って見たら、

 生れ島いうものは、
挽物細工たちが御神酒の水差しの口を差し込むように、
〔海に〕差し込みに差し込み、押し込みに押し込んでしまったので、
あー、ほんとに、
我が島、生れ島は、見えなくなってしまった。

 船を走らせ、進めに進め、
大島の東から、通り口に行ってみたら、真口に走ってみたら、
海の人魚というものが、外海の上に浮かんでいる。

 我が船に「早先」に、捕まえて乗せてみたら、
「私を乗せる人がいたなら、この人魚を乗せる人間がいるのなら、
孫子までも、七代あとまでも、罪を受ける」と言うので、
あー、我が船「早先」に乗せちゃいけない。
面舵の方から、右舷の方から、取り下ろし、放してやった。

 大いなる宮古島に、二十もの村々に上陸したら、
「パイフタ村のフンタカよ、
なんでここらを歩いているんだい。どうしてここに来たんだい」と尋ねるので、

 「母方の親戚からも、父方の親戚からも、
加玻羅玉が、勾玉が欲しいと頼まれているんで、こうして歩いているんだ」と答えたら、

 「そういうことだったら、こんなことだったら、
大いなる宮古島には、二十もの村々には、
加玻羅玉もあるんだから、勾玉もあるんだから、
浜昼顔を手繰るように、浜の細かい砂をつかむように、
手繰りに手繰り、つかみにつかんで、
おまえの船の荷に乗せて走れ」と言うので、
浜昼顔を手繰るように手繰り投げ、
浜の細かい砂をつかむようにつかみ投げ、
おいらの船「早先」の荷に積み登らせた。

あー、竹富島の東側から、仲嵩の表の方から走らせて、
黒島の東側から、サフ島(黒島の対語)の表の方から、
ケン口の入江に入り込んで、割れ口の入江に入港して、
母なる生れ島に、父なる種の島に、上陸して帰ってきた。

 「あー、黒島の御神と俺とは、
おんなじ位なんじゃないんだろうか、
鶏のように、
一人で蹴りまくっても、かまわないんじゃないか、
一人で座りまくっても、かまわないんじゃないか」と言ったら、
黒島の御神は、ふくれっつらしておられるようだ。

 「あー、パイフタ村のフンタカは、口が軽い男だ、軽薄な男だから、
言い直して申しあげます。
ユラギ(地名)の渡しの岩や長崎の崖を割って、
島の真ん中に登らせてお目にかけましょう。

 東の海の浅瀬の、
海鼠という海鼠に、ペーヘ(海鼠と同義)というペーヘに、
砂地に生える蒜のような髭をはやして、
島の真ん中に登らせて、踊らせてお目にかけましょう。

 東の港も陸地にしてお目にかけましょう。
人という人にも、鉢巻きをさせてお目にかけましょう。
大干潮のヤーン潮の蛸のように、両手をついてお目にかけましょう。
倒れた家の(柱の)ように、マラをへし折ってお目にかけましょう」

こう申しあげたら、
黒島の神はイヒヒと笑ってしまわれたので、
罪も咎も免れることができた。

(喜舎場永珣『八重山古謡 下巻』から、具志堅 要による意訳)