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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

聖マタイの召命

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カラヴァッジョ作『聖マタイの召命』(1600年、イタリア)。

マタイはイエスの十二使徒のひとりだ。絵では、イエスがマタイを使徒として召命するシーンが描かれている。イエスは画面右の暗がりの中にいる。イエスが指さしているのは、画面左で一心不乱に銭勘定をしている男、それがマタイだ。

イエスがなぜマタイを使徒に加えたのか、明らかではない。『新約聖書』(日本聖書協会発行)では次のように書かれているだけだ。

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。(マタイによる福音書9:9)

これではマタイの心の動きを知ることはできない。しかし、これに続く章句でどのようなドラマが演じられたのかを推測することはできる。

それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マタイによる福音書9:10-13)

イエスの時代、取税人は罪人と同等に扱われていたようだ。つまり、マタイは罪人であり、イエスは罪人を使徒に加えたのだ。ここに逆説的なドラマがある。「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」というドラマだ。

カラヴァッジョは、顔を上げる前のマタイを描いた。イエスの言葉を聞くと同時に、マタイは顔を上げ、「立ちあがって、イエスに従った」のだろう。

カラヴァッジョ(1571-1610年、イタリア)は、20代の最後あたりにこの絵を仕上げて、名声を確立したという。1606年には乱闘で若者を殺してローマを逃げ出し、1608年にマルタで、1609年にはナポリで乱闘騒ぎを引き起こし、1610年に38歳の若さで死去する。

この絵は、カラヴァッジョがマタイを描いたというよりも、マタイがカラヴァッジョ自身を描かせたような気がする。マタイが召命される短い章句から、カラヴァッジョは、罪人であるとともに使徒であるという、自分自身の姿を読み取ってしまったのではないだろうか。