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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

不可視のものを可視化する

スペインの宮廷画家ヴェラスケス(1599-1660年)は、通常は見ることのできない視点から絵を描く。『ラス・メニーナス(官女たち)』(1656-57年)がそのひとつだ。遠い国にいる幼い王女の婚約者に、定期的に王女の成長する姿を描いて送っていたらしい。

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この絵で特異な点は、描かれている人たちが見ているのは、モデルである国王夫妻であるということだ。モデルある国王夫妻は、目の前の全員を眺めることになるのだが、自分たちの姿は、部屋の中央ある鏡で確認することができるだけだ。

国王夫妻は、娘や道化や画家などが描かれていることを想像しているのでない。この時代もそうだし、この前の時代もそうだったが、絵というものは権力者のために描かれるものであり、姫を除いてお付きのものたちは、描かれる価値を持たないものたちだった。

ヴェラスケスは、描かれるべき人の視点から見える光景を描いてしまった。そのことによって絵画は、宮廷生活の一瞬を描くことに成功した。なによりも宮廷画家ヴェラスケスのアトリエが描かれることになったのだ。大きな画布の向こう側に描かれる国王夫妻の姿をぼくたちは見ることができない。ただ遠くの鏡に映った姿で想像するしかないのだ。

ヴェラスケスのこのような視点の逆転により、鑑賞者も絵のモデルである国王夫妻と同じ位置に立って、『ラス・メニーナス』を鑑賞することになる。鏡に映った国王夫妻以外の絵画上の人物の関心は、すべて絵の鑑賞者に向けられることになる。通常「見るべき人」である鑑賞者たちは、『ラス・メニーナス』の前では、逆に「見られる人」になるのである。

この絵にはもう一つの仕掛けもある。ぼくたちは通常は、「描かれる価値のあるもの」としての国王夫妻の威風堂々とした姿を鑑賞することになるのだが、視点の位置を変えることによって、ぼくたちは不可視のものを見ることになるのだ。目の前にありながら見ることのなかったもの、少なくとも絵画として描かれるべき価値がなく、そのため目の前にありながら不可視の存在となっているもの、を可視化する視点が与えられるのである。