rapanse’s diary

今日の沖縄戦を写真でたどる

米国海軍: G-6 hospital 61 at Koza, Okinawa, Ryukyu Islands. ComPhibPac #263. Infant patient. コザにあるG-6区第61病院。幼児の患者。コザ 1945年 5月 15日(沖縄県公文書館) 奇しくも5月15日に当たるこの日に、沖縄戦に思いを馳せる。日本も米国もそ…

ネーネーたちによって乳飲み子は守られ、戦後の沖縄は立ち直っていった。

1945年5月10日 沖縄戦の最中に撮影された少女たち。(沖縄県公文書館資料) 戦禍の中を逃げ惑い、乳飲み子を守護したこのネーネーたちによって、戦後の沖縄は立ち直っていった。

弱い者が戦争の犠牲者になる

1945年4月4日、読谷村楚辺に設置された病院にて。(沖縄公文書館資料) 同じ日、同じ場所での写真。 弱い者が戦争の犠牲者になる。この子は栄養失調状態だ。いつ頃から壕にこもっていたのだろう。食べ物は与えられなかったのだろうか。

茅葺き屋根と水田、沖縄の原風景

1945年5月 沖縄東部の田園風景。萱葺き屋根と水田風景(米国海兵隊写真資料)。 5月は浦添〜西原で死闘が繰り広げられていた。それなのに米軍が写した1945年5月の沖縄島東部の田園風景は、戦禍が感じられないほど整然としていて美しい。 戦前の沖縄の田園風…

成人男性の見当たらない家族の姿:1945年4月中旬以降の沖縄戦

【原文】 Japanese civilians in US Navy Military Government compound, village of Taira, Okinawa, Ryukyu Islands. Typical family seen on one of the village streets. CL-62#54. 【和訳】 米海軍軍政府の収容所内にいる民間人。沖縄本島田井等の村に…

沖縄戦、子守りする兄たち

【原文】 Life among Japanese people inside a military compound on Okinawa in the Ryukyus as the US forces take over areas of the island. A boy and his baby brother show some bewilderment. 【和訳】 米軍占領後、収容所内での日本人の生活の様子…

1945年5月1日の沖縄戦:死を待ち望む表情だろうか。

海兵隊 Apparently more concerned over the prospects of bad weather than a rain of Jap bombs is this venerable native of Okinawa. 日本軍の爆弾よりも悪天候を気遣っている民間人。 撮影日: 1945年 5月 1日 おそらく老人は死を待っていたのだろう。…

激戦地で置き去りにされた子どもたち——浦添での攻防戦

Two Jap children as they were found in a tomb about 50 yards from the front lines. / 【和訳】前線から約50ヤードの墓で発見された2人の日本人の子ども。1945年4月23日 前線からわずか約50ヤード(47.52メートル)の墓で発見された二人の幼児。晴着を着…

子守りしながら洗濯する少女たち——1945年4月29日の沖縄戦

金武の収容所。金武大川 (きんうっかがー)。A little Okinawa girl carrying a baby on her back, used her feet to wash the laundry in the community pool, while little sister holds more clothes. 赤ん坊を背中におぶり、共同貯水池で洗濯をする沖縄…

米軍のプロパガンダに協力し、住民を救おうとした二人

An American civil wedding ceremony is conducted for a Japanese Prisoner and his Okinawan sweetheart. 日本軍捕虜と沖縄女性の間のアメリカ式結婚式 (写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書)館 激戦地の浦添村で日本軍捕虜と沖縄女性の間のアメリカ式結婚式…

米軍の手先となる自衛隊の姿:先取りする子どもたち

Acting as Drill Instructor to a squad of Jap children would be an experience to any Marine. Sgt. Leo T. Batt, former Hammond (Ind.) Times reporter is shown ”giving the word” to more than willing young ”boots” in Okinawa Island. Sgt. Bat, a…

共同井戸はコモンズであった——1945年4月26日の沖縄戦

金武の水場で洗濯をする沖縄の人々。水路へ取水された水はまず飲料水として用いられ、次に野菜洗い用、水浴び用、最後が洗濯用(1945年4月26日撮影) Okinawans washing their belongings at a water point at town of Kin. This water is diverted into cha…

国家に従順な身体ではなかった久高島の神人

米軍占領後の伊江島の地元民。写真撮影のために並んでいる地元の子ども。(1945年4月25日撮影) Natives of Ie Shima, Ryukyu Islands after American occupation. Native children lined up for photo. 写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館 規律・訓練を通して…

看護師にされ戦闘員にもされた従軍慰安婦——1945年4月24日の沖縄戦

米国陸軍通信隊: Pfc Robert A Vincent, of Jamaica, L.I., N.Y., offers rations to Okinawan children who were found in the town of Gusukuma during the drive on Machinato airstrip. 牧港滑走路を走行中、城間の町で発見された沖縄の子ども達に食料を…

民間犠牲者を戦闘協力者に仕立てた日本政府のシナリオ——1945年4月23日の沖縄戦

真ん中に立っている防衛隊員の男性が「皆で一緒に死のう」と呼びかけ、壕の中の人々は男性のもとに集まった 伊江島では集団自決(強制集団死)が相次いだ。 【沖縄戦の絵】伊江島「集団自決」4月23日、壕の外に出てくるよう呼びかける米兵の声が聞こえてきた…

水田やヤードゥイ集落の中を進撃する米兵たち——1945年4月22日の沖縄戦

沖縄特有の地形を進軍。(1945年4月22日撮影) Moving forward showing typical Okinawan terrain. やんばるのどこかの水田だろう。現在の沖縄では水田はごく稀な情景だが、1960年までは至る所で見ることができた。砂糖価格の高騰と1950年代、朝鮮戦争の勃発…

子どもたちの首に残る集団自決(強制集団死)の傷跡:1945年4月21日の沖縄戦

Jap children in a hospital at Zamami Shima, Ryukyu Islands. Note how parents attempted to cut their throats. 座間味島の病院に入院している地元の子ども。彼らの喉が親によって掻き切られそうになった点に注目。(1945年4月21日撮影) 慶良間諸島では…

恨む比謝橋や——1945年4月20日の沖縄戦

写真左下と右上には、日本の古い橋が見える。それらと並列して架かっているのは、建設大隊が新たに建設したベーリー橋。比謝近くにて。この橋は、南部戦線で苦戦している陸軍に二車線道路を提供するために、きわめて短い期間に建設された。(1945年4月20日撮…

奇妙なピクニックとタクシー:1945年4月19日の沖縄戦

米軍政府管理下の捕虜収容所で肩を寄せ合い配給を食べる民間人(1945年4月19日撮影) 英語のキャプションは "No Picnic" 。野外での飲食は人々を生き物にする。戦火をくぐり抜けた後には、なおさらだ。米兵は思わず「ピクニック」と言い、「そうではない」と…

1945年4月18日の沖縄戦

105ミリ砲で掩護する砲兵隊(1945年4月18日撮影)写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 本部半島の嘉津宇岳がこの位置に見えるのは、撮影場所はおそらく名護だろう。現在ボクたちが住んでいるあたりになる。 攻略した丘--谷へと進軍する第4海兵連隊。(1945年…

伊豆味小『命どぅ宝の心』を観て

昨日(4月16日)、もとぶ文化交流センターで開かれた「みらいフェス」で伊豆味小学校5、6年生による平和劇『命どぅ宝の心』を観る。 「地に足をつけて、沖縄戦、本部町の戦争について学び、子どもたち自身でシナリオも小道具も作って仕上げた」とのこと。 …

1945年4月16日の沖縄戦

78年前の今日、伊江島の『六日戦争』が始まる。 【1945年4月16日、読谷村古堅の部落を通過するアメリカ軍戦車】 戦車が進撃しているのは、もうほとんど残されていない、懐かしい沖縄の風景の中だ。この両方がボクたちの出発点となる。 【VC-84中隊のTBM機に…

1945年4月15日の沖縄戦

78年前の今日。 【沖縄本島北部の田舎の風景。名護の潜水艦待避所を見渡せる丘からの眺め。(1945年4月15日撮影)】 名護のどこだろう。校舎らしきものが見える。羽地小学校だろうか。建物の裏に水田が広がっている。1950年代までの沖縄は水田の広がる光景が…

1945年4月14日の沖縄戦

78年前の今日。米軍はヒューマニズムあふれる写真を撮るが、証言ではその逆のケースが多かった。 「島袋 (民間人収容所) では、とても苦労しました。島袋の部落は無傷で残っていましたけれど、沢山の避難民が集められたので、食糧不足だったんです。それから…

1945年4月13日の沖縄戦

78年前の今日、米軍は沖縄島最北端の辺戸岬に達する。 沖縄島最北端に向かう米軍海兵隊。 北進を援護する事前空爆。山間を飛ぶ飛行機の姿は美しいが、空爆の下には人間たちがいる。飛行機の姿は権力者の描く「歴史」のようなものだ。爆撃に曝される人々の姿…

1945年4月12日の沖縄戦

78年前の4月12日の沖縄戦。 米国海兵隊: Amphibious tanks passing through the ruins of Nakaoshi.廃墟と化した仲尾次集落を通過する水陸両用車 名護市 1945年 4月 1日〜12日 写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館 仲尾次集落は漁師町で生きの良い刺身が手頃な…

1945年4月11日の沖縄戦

78年前の今日。母を探して泣き叫ぶ子供を、トラックから降ろす海兵隊員。沖縄にて(1945年4月11日 )。