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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

ゴヤとマネによるバルコニーの男女

ゴヤはマハたちの絵を数多く描いた。マハというのは、特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で「小粋な女」を意味する単語だ。 ゴヤの描いた《バルコニーのマハたち》は、印象派の画家マネに大きな影響を与え、マネは《バルコニー》を制作する。 こ…

クールベ、マネとパリ・コミューン

パリ・コミューン(1871年)には多くの芸術家が参加した。ギュスターヴ・クールベ(1819-1877 )はパリ・コミューンに参加するが、国防政府軍に敗北し、逮捕される。2年後の1873年にスイスへ亡命し、晩年はアルコールにまみれながら風景画等を描いたとされる…

《皇帝マキシミリアンの処刑》

奇妙な絵である。エドゥアール・マネによる《皇帝マキシミリアンの処刑》(1868年、252㎝×305㎝、マンハイム市立美術館)だ。 マキシミリアンはオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世の弟で、フランスによって1864年にメキシコ皇帝に祭り上げられた人物だ…

西洋近代絵画を変えたマネの《オランピア》

エドゥアール・マネ(1832 - 1883)はスキャンダラスな画家だったとミシェル・フーコーはいう。マネのある作品は、「展覧会にやって来たブルジョワジーたちが傘でこの絵に穴を空けようとするほどまでに」、ブルジョワジーたちを激高させた。それは1863年に描…