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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

レンブラントとゴッホによる《ラザロの甦り》

「ヨハネによる福音書」によると、イエスは死後四日たつラザロを復活させている。ラザロはイエスの弟子だった。以下はラザロの姉妹であるマルタとイエスの会話である。 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。マルタは言った、「…

大衆レストランにおけるワイン交換の慣習

南フランスの大衆レストランの絵をゴッホの作品の中で見つけた。アルル時代の絵で、《レストランの内部》(1887-1888年)という作品だ。テーブルにはワインの小瓶が置かれている。 レヴィ=ストロースによると、見知らぬ他者とかかわりあいにならないのがフ…

浮世絵とポストモダン(脱近代)

弟テオへの手紙のなかで、ゴッホは印象派の人たちを「フランスの『日本人』」(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』)と呼んでいる。日本人というのは浮世絵の作者たちのことだ。ゴッホは印象派を浮世絵の後継者としてとらえていたようだ。 自国では衰退したこの…

廉価品だった浮世絵

『ゴッホの手紙』を読んでいると、気になる部分が出てくる。浮世絵の値段だ。1888年に弟のテオにあてた手紙で、ゴッホは「今のところ版画は一枚三スーで手にはいる」(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』)と書いている。版画というのは浮世絵のことだ。3スーと…

ゴッホと浮世絵

ゴッホは弟のテオから月150フランの仕送りを受けていたらしい。この額がどれくらいのものになるのか、正確なところはわからない。ゴッホが自分の耳を切り落とした――1889年当時の労働者の 1日の平均賃金が5フランくらいだったらしいから、労働者並みの生活…

「ゴッホは狂人ではない」――アルトーの叫び

フランスの詩人・演劇人であったアントナン・アルトー(1896-1948)は、1947年に発表した「ビンセント・ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者」(鈴木創士訳)のなかで、「ヴァン・ゴッホは狂人ではない」と強く主張する。 人はヴァン・ゴッホの精神的健康につい…

ゴッホ作『洗濯婦のいるアルルの吊橋』

1888年2月20日に、南フランスのアルルに引っ越したゴッホ(当時35歳)は、3月に送ったエミール・ベルナール(15歳年下の画家)への手紙で、『アルルの跳ね橋』の構想を次のように述べている。 この手紙のはじめに、僕が今ものにしようと取り掛かっている習作…

ゴッホと麦畑

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、1889年5月8日にサン・レミ(南フランス)の精神病院に入院する。この絵は入院後の6月に描かれたもので、タイトルは「麦畑(サン・レミの精神病院の裏、大きな雲)」となっている。 手前の麦畑は、少し色づいて…