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rapanse’s diary

ポストモダンの視点で絵画を楽しみ、沖縄のシマ社会と芸能を楽しむ

てぃーだブログの「ぷかぷか」に引っ越しました

はてなブログの「rapanse’s diary」は、 4月30日から、てぃーだブログの「ぷかぷか」に引っ越しました。 引き続きご笑覧ください。

ホルバイン――《大使たち》

ホルバインが1533年に制作した《大使たち》では、二人の男性の足下に浮遊する奇妙な物体が描かれている。それは「アナモルフォーズ(歪像画)」の技法によって描かれた髑髏(どくろ)だ。 髑髏は、ヴァニタス(虚栄)を表わす寓意だ。ヴァニタスという言葉は…

ホルバイン――《商人ゲオルク・ギーゼの肖像》

ホルバインは多数の肖像画を描いているので、肖像画家だと理解されることが多い。しかし初期の作品には、《墓の中の死せるキリスト》(1521)、版画集《死の舞踏》(1524-25)、《キリストの受難の祭壇画》(1524-25)などの宗教的テーマの絵もいくつか見ら…

ホルバインと聖像破壊運動

次の絵は、ハンス・ホルバインが自分の家族を描いたものだ。ヨーロッパの絵画で親密な家族の姿が描かれるようになるのは、17世紀になってからのことだ。一般的に16世紀の家族の肖像画は、一族や一門を描くもので、家族間の親密な情愛が描かれることはほとん…

ホルバイン――《バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母》

ハンス・ホルバインは南ドイツのアウクスブルクで生まれ、修業時代に各地を遍歴し、1515年(17歳)頃からバーゼルとルツェルン(ともにスイス)で画家として活躍していた。 ホルバインは、1526年からロンドンに移り住む。バーゼル時代の最晩年の作品として、…

「死」の側から人間たちの世界を描いたホルバイン

ハンス・ホルバイン(1497/98 - 1543)は、「死」の側から人間たちの世界を描くことのできる画家だった。代表作とされる《墓の中の死せるキリスト》で描かれているのは、死後三日たったイエスの亡骸だ。亡骸の腐敗と衰退を、ホルバインは写実的に克明に描写…

グリューネヴァルト――《イーゼンハイム祭壇画》

マティアス・グリューネヴァルト(1470/75-1528)は、デューラーやクラナハとともに、ドイツ・ルネサンス3大巨匠の一人に数えられている画家だ。 グリューネヴァルトは《イーゼンハイム祭壇画》の中で、イエスの磔刑の姿を描いた。それは鑑賞者にリアルな痛…

クラナハ――宗教改革とエロスの両立(後)

クラナハは1509年(37歳)あたりからエロチックな女性の裸体像を描き始める。クラナハの裸体像は、ルターによる宗教改革(1517年)、ドイツ農民戦争(1524-25年)の時代にも描き続けられ、1530年代にクラナハ特有の裸体像のスタイルが完成する。 次の絵は、…

クラナハ――宗教改革とエロスの両立(前)

ルーカス・クラナハ(1472-1553)の描く裸婦は、肉体の美に新しいものを付け加えたまれな例だと、美術評論家は言う。 クラナッハは、肉体の美についてのわれわれの想像力のレパートリーに新しいものをつけ加えた稀な芸術家のひとりである。ケネス・クラーク…

アルブレヒト・デューラー――《騎士と死と悪魔》《メランコリアⅠ》

初期フランドル派が中世ヨーロッパの終焉と運命をともにしたのに対して、ドイツ・ルネサンスは宗教改革と運命をともにする。広義の意味における近代ヨーロッパ社会の幕開けを告げるのである。 アルブレヒト・デューラー(1471-1528)は、自信に満ちあふれた…

中世的価値観の崩壊を描いたヒエロニムス・ボス

初期フランドル派の最後を飾る画家はヒエロニムス・ボス(1450-1516)だった。ボスが描いたのは、人間の救いようのない愚かさであり、狂気であった。 ボスの代表作の一つに、《快楽の園》がある。ボスが40歳から50歳の1490年から1510年の10年間のいずれかの…

イタリア・ルネサンスを変えた絵――《ポルティナーリの三連祭壇画》

北方ルネサンスのうち、フランドルで1420年代初頭から1520年代まで続いた美術運動を初期フランドル派という。 初期フランドル派は、ヤン・ファン・エイクに代表され、イタリア・ルネサンスの勃興とほぼ同時期に発生したものであった。しかしその美術運動は、…

ウェイデンとメムリンク――二つの《最後の審判》

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1400-1464)とハンス・メムリンク(1440-1494)が描いた《最後の審判》を見ると、15世紀後半のキリスト教徒たちが、死後の霊魂の救済について、不安に怯えていたことがわかる。そして時代が進むとともに、不安感が深ま…

現実の人間との至近距離で描かれた聖母マリア

ヤン・ファン・エイクの描く聖母像では、聖母と現実の人間が、至近距離に描かれている。これはファン・エイク以前の聖母像には見られない特徴だった。 ファン・エイクの代表作の一つである《宰相ニコラ・ロランの聖母子》は、ブルゴーニュ公国の宰相であるニ…

油彩技法に革新をもたらせたヤン・ファン・エイク

ヤン・ファン・エイク( Jan van Eyck、1395年頃 - 1441年)は、それまでおこなわれていた油彩画法を改良し、細密な描写と鮮やかな着彩法を確立し、絵画史上に大きな革新をもたらした。 ヤン・ファン・エイクの革命的ともいえる油彩技法の刷新は伝説となり、…

騎士道と北方ルネッサンスの中心地だったブルゴーニュ公国

中世ヨーロッパには、ブルゴーニュ公国という不思議な国家があった。ヨーロッパを理解するためには、このブルゴーニュ公国という国家を理解しなければならない。なぜなら、このブルゴーニュ公国で騎士道文化は栄え、ブルゴーニュ公国の支配地としてネーデル…

狂人の鎖からの解放を描いたゴヤ

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)は、狂気に対する見方が大きく変化する時期をあげている。それは17世紀後半における貧民の《大規模な監禁》と18世紀末の鎖でつながれていた狂人の釈放である。 狂気の歴史では、二つの事件がとくに鮮明にこ…

人生の最晩年に、庶民の日常を肯定的に描いたゴヤ

ゴヤは1824年にフランスに亡命し、ボルドーに居を構えた。 ゴヤはスペインの宮廷画家であったが、亡命の2年後に、宮廷画家を辞職している。 その当時のスペインでは、自由主義者は弾圧されていた。そのためゴヤは、主要な作品集の隠ぺいをしていた。最初の版…

去勢されない父親は、子どもを食いちぎる。

1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」と通称される別荘を購入した。 1820年から1823年にかけての4年間、ゴヤはほとんど外出することなくこの別荘に籠っていた。そして、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画が描かれた。黒をモチーフとした暗…

ゴヤの描いた二つのカーニバル

スペイン独立戦争(1808-1814年)は、フランス正規軍と民衆のゲリラ活動との戦いだった。ゲリラとは、スペイン語で「戦争」を意味するゲラに縮小語尾をつけた言い方で、このスペイン独立戦争の中で生まれた言葉だった。 フランス兵はゲリラを正規兵とは扱わ…

スペインの異端審問とゴヤ

フランス革命の影響を受けたゴヤは、批判精神を研ぎ澄ませていく。ゴヤの批判の的のひとつに、異端審問があった。 異端審問とは、中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステ…

ゴヤとマネによるバルコニーの男女

ゴヤはマハたちの絵を数多く描いた。マハというのは、特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で「小粋な女」を意味する単語だ。 ゴヤの描いた《バルコニーのマハたち》は、印象派の画家マネに大きな影響を与え、マネは《バルコニー》を制作する。 こ…

ゴヤ――戦争の惨禍

フランス革命(1789年)から3年後、1792年から1802年まで、革命後のフランスと、反革命を標榜する対仏大同盟(イギリスおよびオーストリアを中心としたヨーロッパ列強)との間で「フランス革命戦争」と呼ばれる一連の戦争が起こる。 当初は革命への外国の干…

ゴヤ――理性の崇拝

フランス革命(1789年)がもたらしたものの一つに、「理性の崇拝」がある。 文化研究家のレイモンド・ウィリアムズ(1921-1988、イギリス)によると、18世紀末(フランス革命)から19世紀初め(ナポレオン時代)にかけて、「理性」という言葉は、超越的な力…

フランス革命の前と後を生きたゴヤ

フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828、スペイン )はフランス革命(1789年)の前後を生きた画家だった。 フランス革命は、ヨーロッパ社会の画期をなす革命だった。ヨーロッパ社会はそれ以降、王侯貴族の支配する社会からブルジョワジーの支配する社会へと大き…

クールベ、マネとパリ・コミューン

パリ・コミューン(1871年)には多くの芸術家が参加した。ギュスターヴ・クールベ(1819-1877 )はパリ・コミューンに参加するが、国防政府軍に敗北し、逮捕される。2年後の1873年にスイスへ亡命し、晩年はアルコールにまみれながら風景画等を描いたとされる…

ルーベンスとヴァトー  《パリスの審判》

アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721、フランス)の描く《パリスの審判》は、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640、フランドル)のそれをもとにしていたらしい。 絵画の主題は、トロイアの王子であるパリスが、神々の女王ユーノー、知恵の女神ミネルヴァ…

レンブラント――腹部のたるみと皺

レンブラントの描く女性の裸体画には、大きな特徴があった。それは皺のよった垂れ下がった腹部である。 そのような特徴は、油絵で示されることはあまりなかった。エッチング(銅版画)で思う存分に描かれたのである。 次の版画はレンブラント25歳の作品であ…

宗教改革と球根のような女体

球根のような女体は、ルターによる宗教改革(1517年)を経てポルノグラフィーのようなものに変化していく。カトリック教会に比べ、性に関して禁欲的であることを誇ったプロテスタントたちは、絵画表現においては禁欲的ではなかった。むしろセクシュアリティ…

球根のような女体

前回紹介したヴァン・デル・フースの描くイヴは、奇妙な体形をしていた。腹部が大きく突き出しているのである。球根のような肉体で、北方ルネッサンスにおける女体の理想的形態だった。 美術評論家ケネス・クラーク(1903-83、イギリス)の『ザ・ヌード』(…

ヴァン・デル・フース――《人間の堕落》

ヒューホ・ヴァン・デル・フース(1440-1482)の描くアダムとイヴはうつろな表情をしている。 ヒューホ・ヴァン・デル・フース作《人間の堕落》(1467-68)美術史美術館 ウィーン ヴァン・デル・フースはフランドルの画家で、ブルゴーニュ公シャルルの結婚式…

セザンヌ――《数珠を持つ老婆》

セザンヌに完成作品はないのかもしれない。セザンヌにとっての完成作品は、次に描く予定の絵だった。つまり、描き終えた作品には興味を持たなかったのだ。 このようなセザンヌの創作態度を示すのは、セザンヌの伝記を書いたジョワシャン・ガスケによる次のよ…

レンブラント――《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》

イエスの言葉は過激だった。天国は幼な子のものであり、金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るよりむつかしい。そして、先の者はあとになり、あとの者は先になる、と。これらは「マタイによる福音書」第19章でイエスが述べたことだ。 レンブラントの銅版…

レンブラントとゴッホによる《ラザロの甦り》

「ヨハネによる福音書」によると、イエスは死後四日たつラザロを復活させている。ラザロはイエスの弟子だった。以下はラザロの姉妹であるマルタとイエスの会話である。 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。マルタは言った、「…

レンブラント――子どものおしっこ

下の絵はレンブラントの《ガニュメデスの誘拐》だ。数年前、東京に旅行したとき、おそらく国立西洋美術館だったと思うが、この絵を見ることができた。ゆるやかな螺旋を描きながらおしっこが落下していくありさまを、つぶさに鑑賞することができた。 レンブラ…

カラヴァッジョ――地上的な聖なるもの

カラヴァッジョの絵は、依頼主から受け取りを拒否されたことが幾度かある。聖なるものとして描かれるべき使徒や聖人たちが、地上的な人間として描かれたためである。 《聖母の死》も受け取りを拒否された作品の一つだ。聖母としての神々しさに欠け、人間の死…

カラヴァッジョ――《ロレートの聖母》

カラバッジョの描く宗教画の中でも、傑作の一つとされるのが、《ロレートの聖母(巡礼者の聖母)》だ。 カラヴァッジョ作《ロレートの聖母(巡礼者の聖母)》1604年頃、サンタゴスティーノ聖堂(ローマ) カラヴァッジョの描くマドンナ(聖母)は、人々を慈…

カラヴァッジョ――罪人

カラヴァッジョの描く宗教画は、神聖化された人間を描くものではなかった。どのような聖人であれ、地上2メートル以内でもがき苦しむ人間として描かれていた。 2メートルというのは、空から俯瞰する高さではなく、水平に人間を見る高さだ。その高さには、天空…

カラヴァッジョーー美青年たちと気性の激しい女たち

3月1日から6月12日まで、国立西洋美術館で『カラヴァッジョ展』が催されている。見に行くことは叶いそうにないが、せめてブログでカラヴァッジョ(Caravaggio)を堪能してみたい。 カラヴァッジョ(1571-1610)はバロック期のイタリア人画家だ。バロックは「…

イタリア・ルネッサンスの最盛期と宗教改革

ローマ教皇ユリウス2世(在位1503-1513)とレオ10世(在位1513-1521)は、ミケランジェロ(1474-1564)とラファエロ(1483-1520)を使って、ローマにあるヴァチカン宮殿とその周辺の教会をフレスコ画で飾る。下の絵はイタリア・ルネッサンスの最盛期を代表す…

アダムとイヴにはおへそがあった?

前回のブログでラファエロ作《アダムとイヴ》(1509-1511)をアップしたところ、「アダムとイブにはへそがないはずだって話を思い出してました。」というレスポンスがありました。 少し気になって、二三点調べてみました。 一枚目の「アダムとイヴ」はファン…

ラファエロを知るために――《ソロモンの審判》《アダムとイヴ》

ラファエロ・サンティ(1483-1520)は37歳で亡くなるまでに、信じられないほど多量の作品を残した。下の自画像は、23歳のラファエロとみられているものだ。 ラファエロ作《自画像》(1506年)、ウフィツィ美術館 憂いを帯びた顔だが、目の鋭さには格別なものが…

ラファエル前派は、なぜ「ラファエロ」を名乗ったのだろうか

ヴィクトリア朝時代(1837-1901)の大英帝国の美術界を牽引したラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood、1848‐1853)は、なぜラファエルという名称を自分たちのグループに用いたのだろうか。 ラファエルという名称は、盛期ルネサンスを代表するイタリア…

19世紀の格差社会

経済学者のトマ・ピケティ(1971-)によると、19世紀のジェントルマン階層やブルジョワジーたちは、平均所得の20倍から30倍の収入がなければ、困窮生活をしていると感じていたらしい。 ジェイン・オースティンの描いた『高慢と偏見』(1813年)の経済的生活…

夢見がちで、謎めいた表情というお約束

ジョン・エヴァレット・ミレイ作《オフィーリア》( 1851-52年,76.2×111.8cm テート・ギャラリー) 絵は、樹木希林によるパロディで話題になった、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)による《オフィーリア》である。画中のオフィーリアは目を半ば閉じ…

大衆レストランにおけるワイン交換の慣習

南フランスの大衆レストランの絵をゴッホの作品の中で見つけた。アルル時代の絵で、《レストランの内部》(1887-1888年)という作品だ。テーブルにはワインの小瓶が置かれている。 レヴィ=ストロースによると、見知らぬ他者とかかわりあいにならないのがフ…

零落する辻音楽師たちの姿

www.youtube.com この楽器はハーディー・ガーディーだ。 2月21日にフィンクボーンズ作《盲目のハーディー・ガーディー弾き》(1607年)をアップした。その絵では楽器自体が鮮明に描かれていなかったので、ジョルジュ・デ・ラ・トゥール(1593-1652、フランス…

《皇帝マキシミリアンの処刑》

奇妙な絵である。エドゥアール・マネによる《皇帝マキシミリアンの処刑》(1868年、252㎝×305㎝、マンハイム市立美術館)だ。 マキシミリアンはオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世の弟で、フランスによって1864年にメキシコ皇帝に祭り上げられた人物だ…

《盲目のハーディー・ガーディー弾き》

下の絵は、ダビッド・フィンクボーンズという画家の絵だ。この画家についてのくわしいことは、ぼくにはわからない。フランドル地方の画家で、1576年にメヘレン(現在はベルギーの都市)という都市で生まれ、1633年にアムステルダム(現在のオランダの首都)…

西洋近代絵画を変えたマネの《オランピア》

エドゥアール・マネ(1832 - 1883)はスキャンダラスな画家だったとミシェル・フーコーはいう。マネのある作品は、「展覧会にやって来たブルジョワジーたちが傘でこの絵に穴を空けようとするほどまでに」、ブルジョワジーたちを激高させた。それは1863年に描…